あかんたれブルース

継続はチカラかな

雛人形じゃなくても顔が命の吉徳

愛する技術という発想(55)
中島みゆきは知っている [トーキョー迷子]


再度、いやこのブログをはじめて四、五回目かな

懲りずに「顔」の話です。

最初にお断りしておきますが
コレってイケメンとか美人とかブ細工
顔のパーツ配列のことじゃないからね。
また、人相占いとかの観相学的ものでもない。
ま、若干は関係しますが
根本的に違う観点からのアプローチだと
受け止めておくれ。

当初は明治人の顔から始まったのですが
途中で練炭女の出現で俄然これまでの疑問が
噴出してしまったのだ。

練炭女っていうのは
あの練炭殺人の木嶋被告のことです。
なんであの顔で・・・
しかし例えがあまりにストレートすぎて
上手に伝わらない。

わたしが云わんとするのは醸しだす雰囲気の話
にじみ出る、不自然な違和感・・・危険

これがこのシリーズでいう波長(周波数)
直感、第六カン、感性、洞察力・・・
なのではないかと、そういうものが
麻痺している劣化してる機能不全を起こしている
という主旨からでした。

雰囲気ね。

それは表面的なものだけでなく
にじみ出てくるものだ。

で今回あえて再度やるのは
パソコン遠隔操作の自作自演で再逮捕された
片山祐輔被告(32)の顔。
最初の逮捕時も変な顔と思ったけれど
今回の再逮捕のときの報道陣の前に出た時も
変な表情だった。
サイコパスサロンパスか知らないが
まったく自分自身で管理していない。

ちょっとも前の柏の通り魔殺人自作自演の
竹井聖寿(24)も強烈でしたね。
そして、3Dプリンター拳銃製造で逮捕された
湘南工科大学職員(27)の顔も不自然だった。

泣いてるような笑っているような
怒っているような怯えているような
取り留めもなく未熟な迷子のような

ここでみゆき嬢の「トーキョー迷子」
カラオケスナックのカバーバージョンしかないけど
http://www.youtube.com/watch?v=5K5jHCpMDPc

この歌詞の一節(サビの部分)

 1年2年は夢のうち まさかと笑って待てば
 3年4年は洒落のうち 数えて待てば
 5年かければ 人は貌だちも変わる
 ましてや男ましてや他人 今日もトーキョー迷子

年月、歳月で人の顔は変わる。
だから男の顔は履歴書だ、とか
四十過ぎたら自分の顔には責任を持て
なんていわれます。

前記した容疑者たちの年齢をあえて入れたのは
みな中年以前の者たちだ。
これは年齢以上に「環境」がその人の顔を
造る。変えていく。
ということに他ならないことじゃないか。

環境とは生活とかモノの考え思想価値観
そういったモロモロです。

ドローッとしているというか
無防備というか過剰というか
不自然なんだよな。眉毛の形じゃないぞ!

これら彼らは犯罪容疑者です。
別に結果論後講釈の偏見じゃなくてだよ。
たとえば、これが普通の人でも
40代、50代を過ぎると
まったく顔が「履歴書」同然になります。
いろいろ観察してるとそれを痛感するよ。

決め付け偏見じゃなくてさ。
ちゃんとしてる人はちゃんとした顔をしてる。
そうじゃない人はモロそれが顔に出る
これは紛れもない爺だ、いや事実だ。

顔だけじゃなく服のセンスや
喋り方、論法から食い方飲み方仕草まで
それは出る。
観てる人は観てるからコレって恐いんだよね。
そういうことがわからない人は危ないのだ。
手料理につられて殺されかねない。
加害者も被害者も

自分を見失っているのかもしれません。
迷子になっているんだよねきっと
そして妄想に取り付かれてしまう。
心の隙間にみょうな「電波系」が棲みつくのかも

何が正しくて何が間違ってるか
何が正義で何が悪か
なにかとジャッジしにくい社会環境です。
わたしたちは戸惑ってしまう。
きっとそういう環境から曖昧な表情をつくる
ように慣らされているのかもしれない。
それで十分やっていけるわけだし
そうすることが処世だと考えている。
そしてある種のマニュアルのような
お約束に沿って生きている。
こういう不自然さが不自然な顔を造っていく。
そういうことなんだよね。

見た目の、表面的な、美男美女とかじゃなく
個性的でもキレイな顔ってあるものです。
味のある顔っていうのかな
そういう目を養うということ
それと、そういう顔を目指そうという
心がけ姿勢が大事なんじゃないかな。

50を過ぎて、そのこと痛感するよ。

気を抜くな。
二十代ですでに崩れだすんだから
自分の顔には責任を持とう。

 5年かければ 人は貌だちも変わる
 ましてや男ましてや他人 今日もトーキョー迷子