あかんたれブルース

継続はチカラかな

おまえの家から蕎麦屋まで

愛する技術という発想(58)
中島みゆきは知っている [蕎麦屋]


アイデンティティ
突詰めれば
人間はこれを求めてやまない。
ネット辞典から直訳すれば
「主体性」「自己同一性」
言葉をかえれば自立であったり自由であったり
不変の自分の認識とか
自身の存在価値が認められる「居場所」とか
まあいろいろで
人によってそのニュアンスは、色々だよね。
自信の拠り所だったり
プライドの踏ん張り弁だったり

が故に、それを意識すればするほど
つらくなることも多いものです。
なかなか確立できないものなのだ。
とかくふらふらしてるのが世の常人の常
そのたびに自己嫌悪に陥ったり厄介なものだ。
だからこそそれを求めるんでしょうね。

手近なところではお金だったり
地位とか名声なんてもので
それを得ようとします。
若さと美貌にナイスバディ
つるつるふさふさぷりんぷりんかちんかちんむきむき

それで満足できれば御の字ですが
それさえもなかなか難しい。
また、それ自体が
はたして本人さんを満足させられるものか
どうかはその人次第ですしね。

要は認められたいわけだ。

でも、認められる=アイデンティティーの確立
ではないよねえ。

フロムのいう愛されることよりも
愛することへの提言はここがターゲットだ。

落ち込んでいる友人がいます。
それは今に始まったことではなく
しょっちゅうなのだ。
寄せては返すさざなみのように
彼女の心を闇に誘う。
その憂鬱の正体は
アイデンティティーの喪失にあるんだけれど
わたしはそれを未熟と批判などできない。
それよりも、そのことで身を苛む友の苦悩に
心が痛むのだ。
そう自分を責めないで赦してやれよ。
もっとハードルを下げてみたらどうか。
とかアドバイスするものの
それさえも否定批判叱責してるように感じるみたい。
あかんねえ・・・
言葉の力を信じているのだけれど
自分の非力がうらめしく思える。

 世界じゅうがだれもかも
 偉い奴に思えてきて
 まるで自分ひとりだけが
 いらないような気がする時

みゆき嬢の「蕎麦屋」に琴線を揺らす人は多い。
自分がダメで不要でどうしようもない存在だと
思い悩む人は多いということでもある。

認められたい。
必要とされたい。
たったこれだけの望みを求めて
彷徨い途方に暮れて立ちすくむものたち

http://www.youtube.com/watch?v=zzmvavS7XUc

蕎麦屋に誘われて
あいつの失敗話にけらけら笑って
丼につかまりながら、おまえ
あのね、わかんない奴もいるさって 
あのね、わかんない奴もいるさって

おまえの家から蕎麦屋まで
言葉を超えたやさしさをみゆき嬢は奏でてくれる。

わかんない奴らのことはさては置いても
そう自分を責めちゃいけない。
こうこうしくちゃいけない
こうなくてはだめ、なんて基準がつらくしてる。
その基準は誰にいわれて拵えたんだ?
あるときまでは親だったり世間だったり
したかもしれないけれど
それを認めてそうしてきたのは自分だよね。
それを変えられるのも自分しかいない。
思ったようにいかないことに苛立つことは
ある意味で、稚拙であり不遜でもある。

わたしは決してお前達を馬鹿になんかしてない。
あの恥知らずどもたちと比べたら
そりゃあもう雲泥の差だ。
だからもうそれ以上自分を責めるのはおよしよ。
今度、蕎麦屋に連れていってあげるから
たいめいけんの中華そばでもいいよ

おまえの家から十数年
愛は進化している