あかんたれブルース

継続はチカラかな

鼻がものをいう

愛する技術という発想(61)


テレビを着けたらマックインが映し出されていた。
マックインの出演作品は少ないので
なんとなく、ははん『シンシナティーキッド』だな
と目星をつけると鼻の大きな俳優が登場
往年の名脇役カール・マルデンだね。
この鼻がなんとも特徴的。

容姿として、鼻の大きさ=醜い、という図式が
古今東西成立っているみたいです。
手塚治虫もそのことをコンプレックスとして
自身を投影させて御茶ノ水博士や
火の鳥』の狂言回し猿田彦を生み出した。

このブログでは
愛の本質を「自己愛」と「無償の愛」としました。
そのヒントはヴィム・ヴェンダース
パリ、テキサス』(1984年)
ベルリン・天使の詩』(1987年)だった。
しかし、こと「無償の愛」に的を絞れば
それより遥か昔の17世紀
戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』にトドメさす。
あのシラノもまた鼻がデカかったなあ
皮肉なものです。
あれは哀しい物語だけれど
シラノはそのコンプレックスが故に
その愛を無償の愛に置きかえることで
永遠の命(愛)をえられた。

フロムはシラノを知らなかったのだろうか?
それとも、古っぽいフランス人が綴った絵空事
一考だにしなかったのか?
いや、フロムの時代があまりにも過酷すぎた。
そう考えるべきなんだろうね。
フロムはスピノザの流れを汲み
産業革命以降から加速する倫理の崩壊を
愛の本質をつきつけることで
是正しようと考えたのだ。
人間の過剰な暴走を食いとめようと。
その挑戦的な勇気はシラノ(実在の人物)に
匹敵するほどの豪の者だ。
多少理屈っぽいけれどそこは学者だしね。

芥川龍之介の作品に『鼻』というのがあります。
これも鼻の大きなことのコンプレックスをもつ
和尚さんが鼻を短くする方法を試し成功する
という話ですが、その結果は意外にも・・・
出典は。『今昔物語』や『宇治拾遺物語』から
だそうですが、文豪芥川はそれを捻って
「人間は誰もが他人の不幸に同情する。しかし、
 その一方で不幸を切り抜けると、
 他人はそれを物足りなく感じるようになる。
 それ以上に、その人を再び不幸に陥れてたくなり
 さらにはその人に敵意さえ抱くようにさえなる」
という痛烈な人間の本性を暴露した。

コンプレックスは本人だけのものではなく
相対的な思考癖のある人間にとって
悪意のネタにもなれば
その当事者に真実を教えるタネにもなる。
劣等感と優越感
この間で人間は翻弄され揺れ動いている。
究極の選択としてどちらかを選べというのなら
劣等感のほうがハナひとつ崇高な気がします。
吉行淳之介は一流の劣等感を持てといった。
それはきっとプライドのことだね。

誰でも一度観たら忘れられい名優
カール・マルデン(1912年~2009年)
ハンサムでもないこの個性派俳優がデビュー後
エリア・カザンの目に留まったというのは
きっとあの「鼻」のおかげだよきっと。
欲望という名の電車』『波止場』『ベビイ・ドール』
『片目のジャック』『パットン大戦車軍団』など
1938年から71年間続いた結婚生活は
ハリウッドの歴史で3番目に長いという。
スペンサー・トレーシーとはひと味ちがう
存在感のある俳優でした。