あかんたれブルース

継続はチカラかな

瘋癲の亀仙人

愛する技術という発想(60)


もうかれこれ一年、一年半ぐらい前かな
亀さんという爺さんがココによく出没していました。
70を越した本物の爺さんで
彼なりの人生観をアジられるわけだ。
宗教とかに興味があるようで
彼の導き出した悟りは「分別」だった。
それをもって様々なブログに道場破りを敢行
してるみたいですが根は善人でも
知識が浅いもので
どこにいっても最後は寂しい思いをされている
ようでした。
ここだったらなんとかなると思ったんでしょうねえ。
でも、大変残念なことに
どこまでいっても話がかみ合わない。
年寄りをどやしつけるわけにもいかないので
根気よく、「亀さんそうはいっても
分別だけで解決できれば苦労はしないよ」と
何度も諭しても
年寄りは頑固ですから聞かない。
根競べになって最後は若さと体力の差かなんかで
根負けしたみたいで亀さんは去っていきました。
またさびしい思いをしたことでしょう。

フロムを過剰に性急に咀嚼しようとして
途中でわからなくなったとこぼすルイちゃん
そのフロムの喩え噺というのが

ある男性が好意をもつ女性を劇場に誘った。
だけだったらよかったが
不覚にもその後で食事に誘ってしまった。
食事に誘えば自ずとその後でバーに行くことになる。
その後で、彼女のアパートまで送って行き
成り行きで彼女の部屋に入ってしまう。
そして・・・
この展開をフロムは大いなる誤算と指摘する。
好意をもつ異性であれば
その行為がその後どのような展開に発展するか
予測しえなかったはずはないと手厳しいのだ。
分別がないと。
このドイツ人でユダヤ人の学者は
そういう曖昧さを許さない。

それがそんな大そうな事なことなのかな・・・
ま、結果としてこの男の恋はやがて幻滅になる
わけですがそれは結果論であって
たとえそうであってもそれを失敗とするならば
では、その成功はなんなのだろう?
混乱するルイちゃんの乙女心がよくわかる。
乙女じゃなくて孫が四人もいても
わかるから不思議だ。というか当然だ。
こういうところのフロムは変だ。

分別があれば、自ずと答えは導き出せる。
こういったフロムの考えは
まるであの亀爺さんの分別論と同じじゃないか。
これをもってフロムの思想を否定はしないけど
フロムファンとしては非常に残念に思う。
年寄りの老婆心冷や水机上の論理勇み足
学者特有のトラップに陥った墓穴
いや、なんか欠けている。
人間というものを過信している。
年老いて硬直してしまったというほうが
正確なのかなあ
思考に色艶がないんだよなあ・・・

たとえばクリムトのように
もっと深く柔らかくやさしく
ダナエを描くように
愛を捉えられなかったものかと
でなければ、そこで愛の技術を説いても
履き違えら誤解され混乱させることが多い。
フロム自身、愛をどのように思い描いていたのだろう?
理屈ではなくイメージとして

クリムト「接吻」
http://store.shopping.yahoo.co.jp/art-meigakan/enlargedimage.html?code=klimt9-f10&img=http://item.shopping.c.yimg.jp/i/l/art-meigakan_klimt9-f10

クリムトはこのように愛を表現した。
すくなくとも、男女の愛はこれが的を射ている。