あかんたれブルース

継続はチカラかな

痴情のもつれ

愛する技術という発想(64)


福禄寿の名が出たところで
長寿というのも金運に匹敵する
運の良さの判断基準ですよね。
対して、短命はイコール不幸みたいな。

人間にはそれぞれ寿命というのがあって
死ぬというのは宿命的で絶対の平等ですが
こと、寿命に関しては個人差がある。
なんでだろう?
山田風太郎の『人間臨終図巻』は古今東西の著名人の
臨終没年齢に沿って綴った長編のエッセイ集。
けっこう早く亡くなってる人が多いのに驚かされる。
ここに馬太郎が挿入されるとすれば
第三巻(最終巻)で、信長よりも後だ。

段平がいつも午前中の休み時間に
お握りを頬張ってるので
「それは朝飯か?それとも早弁か?」と
問うたところ、顔を寄せてきて
「あまり大きな声ではいいたくないんだが
 俺は34歳のときに胃癌の手術をして
 胃がまったくないんだ」

わっかった。すべて了承したよ。

そんな段平が浮かない顔の理由は
昨年、今年にかけて相次いで友人が死んだこと。
昨年は自殺、今年は癌だったそうです。
なかでも今年死んだ友人は特に昵懇で
享年49歳の急逝だったといいます。
傍若無人の段平がこれにはすくなからぬショックを
隠せないでいるようだった。
自身の変化を伝える相手を失ってしまったと。

不思議なもので34歳で医者からも見離された男が
こうやって憎まれっ子世にはばかる如く
いまだ生きてる。奴は52歳だから
20年近くしぶとく生きているわけだ。

天には意志がある。
司馬遼太郎の名著『竜馬がゆく』の最後で
凶刃に倒れた坂本竜馬に対して
この主人公に魅了され愛した司馬さんは
天がこの青年をこの国の危機を救うために降臨させ
その役割を終えたと察したら即座に召し返した
というような表現を用いていました。
それは、日露戦争を勝利に導いた
児玉源太郎にしても同じだった。

ここに、私たちが生きてるのではなく
生かされているという考えが成立つ。

人それぞれ生まれてきたからのには
なにからしらの意味・役目があると思うのです。
大げさにいえば、それを天命というのかもね。
それがなにかわかれば、それに沿って生きられれば
幸いなのでしょう。
そのプロセスにおける苦難は別として。
大方はそれを知らずに朽ち果てていく。
そして、役割を終えると即座に天に召される
みたいな、そんな感じだ。

なあ、段平
死に損ないのお前がまだしぶとく生きているは
それなりに何か意味があるんじゃないか?
例えば、身勝手な理屈に聞こえるかもしれないが
その友人の役目って、お前にそのことを伝える
ことじゃあなかったんだろうか
お前は今、変わろうとしている。彼の最後の仕事は
そういうお前の背中を押すことだった気がするよ。

どこまで理解したかはわかりませんが
奴は素直に、神妙に、頷いていた。

ある意味で生きることはつらい。
なんかもう死んで消えてしまいたくなるときだって
あると思うのです。でもね
死のうと思ってもそう簡単に死ねるものじゃないし
生きたいと思っても、そうは問屋が卸さない。
そんなもんだよね。

長寿とか、その長さ短さには関係ないんだよね。
生きることに意味があるとすれば
その死にも必ず意味がある。
たとえ、無駄死犬死でも
そうするかしないかに意識の役割は大きいかも。

人間が残せるものは記憶だけだ。
カタチあるものは必ず消えてなくなる。
記憶は語り継がれことで永遠となる。
それは英雄とか偉業を達成したものだけに
与えられるものじゃない。

名誉と栄光のためでなく
あざやかに往きたいものだよね!
中島みゆき地上の星
http://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE