あかんたれブルース

継続はチカラかな

打てばカチン、ツーといえばブー

愛する技術(番外地-波長の続き)


先日、最後の懇親会が催された。
軽く餃子で乾杯が案の定、周囲から顰蹙を浴びる
馬鹿騒ぎに辟易しながら二次会に流れる組と別れ
神保町方向に帰る。連れが三人の合計四人。
昔だった麻雀の流れですが、もうそんな時代じゃない。
飲みなおすほどの体力もないので
ファミレスでお茶したのでした。

そのなかで、以前このブログでも紹介した
とある講師が語った3.11直後の被災地の惨状の話
についてを話題にした。
不覚にも自分はあの話を聞いて泣いてしまったと。
この件についてはそれまで一切話さなかったし
他の人からも話題として耳にしたことがなかった。
わたしが話さなかったのは気恥ずかしかったことと
語るべき連中ではないような気がして
下手に話題にして低俗な次元で思いを共有するのが
嫌だった! からです。

この三人の面子だったら
なんとかわたしの思いをわかってもらえるかな
とも考えました。多少酔いも入っていたんでしょう。
一人は段平。
も一人はホームレスから立ち直った自称芸術家
あと真面目で善人の純粋培養された良夫さんだ。

わたしがまず語ったのは
あの講師の人間性についてだった。
真面目な人であり、他の馬鹿講師に比べたら雲泥の差
ただし、どうも先走る癖があり安定味に欠ける。
また、その良識ぶりが鼻につく点も否めない。
ま、長短あわせて65点ぐらいの人物だと。
因みに他が赤点以下なのが多いので
比較とすれば掃き溜めに鶴とはいわないまでも
ヒルかガチョウぐらいはあるかな。

これには他の三人も満場一致で頷いた。
まずは、布石はよしとして
そこで、例の震災直後の体験談の件を持ち出した。
そこではじめて、
自分が不覚にも泣いてしまったことを告白した。
別にそういうことに感動できるいい人だって
アピールするためじゃないぞ。

わたしが不思議に思ったのは、
それまで3.11に関する報道や特番でも
泣くほどの、いや断片的にはあったかもしれないが
あそこまで感情を高ぶらせて、場所もわきまえず
下手したら号泣しそうにまでなったのなぜか?
ということでした。

語り部の話術が巧みだった?
いや、前記したように本人は落語や
どこかの塾講師を模倣しているようですが
トークはさほどうまくない。
うまけりゃいいってネタでもないしね。
また、人間的にもまだまだ若く未熟だ。
若いせいもありますが、ときおり青さが鼻にもつく
仁徳が備わる以前の才気ばしったところが
あるわけです。
それを当人も認めているフシもある。
生真面目な人でそれを努力で克服しようとしてる
けれども、そのぶんの下駄が不自然になるんだね。
でも、未熟であっても誠実な人ではある。
わたしは好きですよ。
こういうのって、この手の話手としては致命的
なのかもしれない。
日本人の政治不信とかも政治家の人格云々を
問題にします。
「あんな人に政治を語る資格はない」とか
人格者でなければならないわけです。
じゃないとすべて、でたらめ。

ま、とにかく講師の人については
私以外の三人も認めていた
それが前記した前フリの満場一致の合意です。

にもかかわらず、こんな海千山千の馬ちゃんが
頭を垂れるほろほろ鳥で頬を濡らしTKO
だったのか?
そこで、例の「波長」の話に繋げる筋立てだった。
できれば電波系の話まで広げたかったのですが・・

自称芸術家があの体験談自体が疑問だといった。
本当の被災地はそういうものじゃないと。
なぜならば、実際自分は何度もいっていると
自分の体験談を語り始めた。

いや、そうじゃなくて、あの講師の人格とか
その体験談の信憑性とか内容とか関係ない話で
と、テーマの主題に戻そうするが、通じない。
要は、伝えるという行為のなかに技術とか芸術とか
真実とか、そういうものとは関係なく
深層意識の不思議な共鳴というか
ある周波数の波長のようなものがあるんじゃないか?
そういうことを言いたかったんだけど

今度はあの遺体安置所の体育館の話は嘘だという。
なぜなら自分は現地に行ったけど
(同じ現地じゃなくどこの現地かわからん)
ああいう感じではなかった、と。

すると今度は段平が俺は震災のドキュメンタリーを
50本観た。そのなかで・・と映像論をぶちはじめると
そんな作り物なんかじゃわかりませんよと
自称芸術家はまた自身のボランティア体験談を一席
そんなものなんの意味もないと段平
俺は50本だ。50本ってわかるか?
50本観て、そのなかで・・・と
わたしを置き去りに喧嘩しはじめた。
苦笑いだよ。
救われたのは凡庸な良夫さんには通じたようで
いやいや馬太郎さんがいわんとするのはと
間に入ろうとするけれど、だめなんだな。

自称芸術家は、その真贋を
自分の体験において裏付け、証とする。
それはある意味での権利取りのようなものです。
だから、よく実際現地の状況も知らないで!
と、他者に語らせないアレの類だね。
語るには語るなりの資格がいるのだ。
そして、あくまでも自分の感じたものがすべて。

対して段平ですが、実はこれも同じで
現地にこそ行ってはいないが、50本の労力
そこから抽出する真実には自信をもってる
と、主張しているわけだ。

わたしはそんなことどうでもいいの。

なんでこう頭が悪いのかと、適当なところで
話題を替えたよ。
みんなはわかった?

なんでこう通じないのか
「私」と「理屈・観念」が先走っている
そして、怖れているのだ。