あかんたれブルース

継続はチカラかな

さらば友よ

毒のフィルター No.3)


境界性パーソナリティ障害の原因ってなんだろう?

一般的にいわれているのが
幼児期の愛情を十分に得られなかった
愛の栄養失調というのがある。
これは実に痛い。

先天的というよりも後天的であり
宿命ともいえる過酷なものです。
無論、先天的な遺伝としての傾向もあるでしょうが。
また、環境と並行する教育も大きい。
時代性とか風潮とか

そういった傾向を顕著にしたのが
産業革命であったとも考えられます。
躁うつ病産業革命から生まれた。
フロムが指摘する愛されるために奔走するのも
ここから過剰に暴走したともいえる。

境界性パーソナリティ障害
精神病として認められず
処方箋や治療薬もないのですが
結論からいえばこの愛の不足を補って
蘇生させるしかないんだと思う。
ただし、これは生半可なことではない。

そういう連中には近づかない関わらない
という対処法がマコトシヤカに語られていますが
アカの他人ならイザ知らず
それが肉親だったら、伴侶だったら、恋人だったら
親友だった、どうするのか?
それができたら苦労はしませんよ。
ある程度の間合いをとることはいいとしても
逃避や隔離や排除排斥では解決できない。
逃げられるものではないんだ。
そういう考えがもっとも危険なことを知るべきだ。

霊感の強い人っていますよね。
見える人とか、憑かれやすい人とか
ある意味で救いを求めて寄ってくるとか
隙があるからとり憑くのか
ま、ケースバイケースだ。

境界性パーソナリティ障害者は相手を選ぶ。
わがままや暴言、暴力などのアプローチは
誰でもってわけじゃなくごく限られた特定の相手が
ターゲットになっています。
そうじゃない場合は完全に精神障害だ。
通り魔事件というのがありますが
「誰でもよかった」なんていって
精神鑑定で無罪を勝ち取ろうなんてする輩がいます。
ああいうのでやくざやプロレスラーを襲ったって
話を聞いたことがない。
倒錯しているようで相手を選んでいるんだ。

履き違えた甘え方、支配欲、独占欲、依存、
確認作業、自己肯定の手段、人それぞれいろいろ
細かく解析していくと収拾がつかなくなって
あらぬ誤解やら神経を逆撫でさせかねないので
このなかで甘えと暴言について

暴言には毒舌とか言いづらいことを言い放つ
暴露や糾弾、エスプリを超えた皮肉や嫌味が含まれる。
こういうことがいえることに価値をおく風潮がある。
つまりそれが率直で正直で本音で
真実で正論で正義であるという認識です。
それがどうだかわかったもんじゃない
のが問題なのだ。
その内容よりも、言い放つことに意義がある。
みたいな錯覚がある。
それが正鵠を射ていればいいのですが
いや、そうであってもなくても時と場合があるもんだ。

しかし、それを言わないと卑怯ではないかとか
後ろめたい強迫観念もあるようです。
言うには言う、タイミングやコツ、技術が必要なのですが
そんなことは理解していない。
それで相手が黙ってくれてればいいでしょうが
敵もサルもの引っ搔くもので、どっちもどっちですから
泥仕合になってしまう。よくあることだ。
見識良識のある人は相手にしませんが
それが余計に助長させてしまう。
「ほらみろ、グのネも出ないじゃないか」と
勝ち誇って、またやるんだな(汗)

また、先手必勝とか予防線でそういう手法を
用いる人も多い。
言われる前に言ったもんが勝ちみたいな(汗)

共通していえるのは、言葉が「生」なんだな。
もしくはパターン化マニュアル化しているとか
中高生がいいそうなことを平気で言う。
特に文字の場合は残りますからね・・・

言った言わないは別にしても
言ったほうは案外けろっとしてる場合が多い。
ところが、言われたほうは結構忘れない。

言ったもんが勝ちなんてとんでもない迷信だ。
その一言で、その人物の尻毛の数まで読まれてしまう。
「ああそういう人間なのか」と呆れられるのだ。
この台詞、昔からあったはずだよね。

ここで痛いのは、そういう暴言を
誠実の証みたいに考えている甘えの構造だ。
不幸に先日、それがモロにありました。
途中まで黙って聞いていたのですが
あんまり言葉汚いもので、ガツンとやった。
いままで言われたことがなかったんでしょうね。
相当ショックだったようです。
その後で、誤解してると弁明してきましたが
そういうのが通じるわけがない。
その誤解のタネを撒いてるの誰だ?と
さらにガツン。ガツンガツンガツン
そういうときは手加減しませんからねえ

彼はまだ救いがある。
わたしの鉄槌にショックを受けていた。
恥知らずだったらもっと恥の上塗りをしてきた
ことでしょう。
こういうことは、言うべきときに
然るべく、きっちり言わないといけない。
それも暴言だという馬鹿もいますが
そうじゃない。
そういうことをデタラメにいい加減にしているから
こういう不幸が蔓延するんだ。
言葉ってものには言霊があって
それ発するものにはその責任があるものです。
無責任な発言には当然の報いがある。
それを覚悟でものをいう癖をつけておかないと
とんでもないしくじりをおかしてしまう。

そのあとでね、ふと思ったんだ。
ああ、あいつも境界性パーソナリティ障害
だったんだなあ、と。
立ち直ってほしいものです。

最後にこんなメールが届いた。

「良い言葉はうかばないが、ありがとう。
 少しずつしかわからない○○より。」

大丈夫。まだ大丈夫だ。