あかんたれブルース

継続はチカラかな

問題は自己責任以上に拡大すること

心の扉(4)


一週間のご無沙汰です。
なんかウイークリーブログだね(汗)
色々なことがあったけどなかでも
長崎の女子高生による女子高生の殺人事件
とてもショッキングだった。

神戸酒鬼薔薇事件が平成9年
うちの息子が生まれた年だった。
その息子も高校2年生だよ。

しかし、なんで「長崎」なんだろう?
長崎県も色々な取り組みをやってたみたいですが
システム・制度だけじゃ追いつかないんだ。
昨年まで教育改革の必要性を記事にしてたけど
要は中身の問題で、精神性つまりハードだけ
じゃなくてソフトの問題だ。
子供だけのせいにしちゃいけないよね。

前回、「見える見えない」の記事をアップしました。
それもやはり関係しているので、ちょっと続けます。

もうかれこれ十五年ぐらい前の話になります。
当時わたいのプランナーのお師匠さんから
見えるについて薫陶を受けました。
いいか馬太郎
世の中には3種類の人間がいる。
(1)見えるものが見えない人
(2)見えるものが見える人
(3)見えないものが見える人

(1)は論外として、大方は(2)だけれど
(3)の人にならんとあかんのだよ。
お前はアホだけど磨けば(3)になれるやもしれん
がんばりなはれ、とかね。

わたし思うに、この3つのパターン意外に
(2)の変形から
「見えるのに見ない、ようにする」手合いが
増えていると思う。痛感する。
所謂、見て見ぬふりという処世だよ。

なんでかというと、そのほうが楽だと考えてる。
だから敢てそういうふうに割り切るのが流行りだ。
でもさ、前にも書いたように
そのいう人間性を否定する在り方は結果として
破滅することになる。
因果応報になっちゃうんだよね。

この長崎の事件は父親の責任が大きい。
そこにこの因果応報があったとしても
それを加害者の高校生
ましてや被害者の高校生とその家族に
それが与えられるというのも理不尽極まりない。
そこのところ、よく心して考えてほしい。

なんだかんだ子供の教育にうるさい親たちですが
意外と自分の子をよく観ていない人は多い。
また、見てるようで見えていない驕りがある。
またまた、その在り方が間違ってる。
とは思わないか?

成績さえよければ大丈夫とか
失敗を経験させない過保護な子育て
早い話が手抜きと御都合主義だ。
それと妄信だよね。
思うようにいかなくなるともうお手上げで
見ないよにする、我が子をだよ
無責任な話だと思わないか!
それじゃあ子供が可哀想すりぎるだろうが。

こういうのは誰の責任でもない未成年である以上
親の責任であり、そして大人の責任だ。
他人事みたいに恐い事件ねえですまさないでほしい。
それこそ見えるものを見ないだよ。
なかにはそれでもまったく見えてない人もいましょうが。

見ない事=考えない事=割り切る事
この割り切ることが処世だと履き違えられている。
確かに、矛盾と理不尽の社会にあって
割り切ることは自己防衛の一種かもしれない。
でもさ、物事には限度がある。
昨今の我々日本人は肉となると肉ばっかり
刺身といえばマグロばっかりと偏重すぎるきらいが
ある。それを稚拙化とも幼稚化ともいう。
そのくせ主張はしたい。
ただ、物事を知れば知るほどそう易々と言えない
言い切れないことも多くなるものです。
それがめんどくさいんでしょうね。
夕刊紙や週刊誌やテレビの煽りで「怪しからん」
と単純にやれる人はいいけれど
風が吹いて桶屋が儲かる、よろしく
ちょいと先の先まで読めば観れば、なかなか厄介だ。
そういうのが煩わしいのだ。

景気のいい右のバカ
なんでも反対の左のバカ
子供をみていないバカな親
事なかれ主義のバカな大人などなど
見えてない人間が多すぎる。

「だったらお前は見えているのか?」

いったい誰に向かって何を目的に言ってるんだ。
お前さんの問題だろうが!
そういうバカなことをいう手合いは
読まなくてよろしい。

この見える見えないは
シリーズとして続けます。