あかんたれブルース

継続はチカラかな

きゅうり夫人の持病

愛する技術という発想(73)


先週でしたか日テレの鉄腕ダッシュ
秋田のキュウリ農家を取材しておりました。
ここはブランドきゅうりの名産地だそうで
真っ直ぐで形の良いなんとかキュウリは
一般のものと倍以上の値段で取引されるそうな。

これまで、そういうカタチや規格などで
野菜や果物などをランク分けするのは
ケシカランというスタンスだったのですが
すこし考えを改めたというか
考えさせられた。
というのはその栽培における管理とか
生産者の気配り手間のかけかたに唸ったのだ。

きゅうりの太さは、あれは水の吸収量によって
上下(太細)するんですね。
だから水の(均一な)管理が肝心なんだそうです。
それと、曲がりに関しては
「ストレス」なんだと。
太陽の光の加減など様々な条件によって
まっすぐ育つものが曲がったりする。

以前、トマトやイチゴにストレスを与えることで
「甘さ」が増すという栽培法を知りました。
これも鉄腕ダッシュの番組だったかな?
なかなかよい番組だよね。

でさ、そういうのって(植物のストレスね)
ある意味での植物の生存に対する一大事であって
彼らはいかにして人気モノになって
食われてその種が遠くに多く運ばれるか
自身の種を保存繁栄できるかの一点に目的が
絞られているんだと、考えたとき

トマトやイチゴのストレスの甘さと
キュウリのストレスの曲がるという性質の差は
なんなんでしょうねえ?
曲がったキュウリが甘いなんて話は聞かない。
もしそうだったら、ある規格で曲がったキュウリが
上弦キュウリとか下弦キュウリとか
極上のカーブみたいにブランド化されたはずだ。
もっとも、真っ直ぐでも曲がってても
味には関係ないが一般常識なんでしょうが
時代性として、真っ直ぐがトレンドなだけ。

そういうのをイチゴやトマトはどうやって察し
またキュウリはどうして無頓着なのか?
前者が賢くて後者がちと足りない
ってこともないでしょうけけどね(笑)

いずれにしてもそういいった付加価値は
人間の都合であって、その時代のトレンドだ。
今は甘さを信奉する時代だけれど
数年後にはもっと野性味のある酸っぱさや
青臭さを求める時代がくるかもしれない。
これはあくまでの人間の気分の問題ね。

で、ストレスに対する反応(対応)として
甘さに傾くトマトやイチゴと
曲がってしまうキュウリの違いは
その種の「特性」「性質」なんだろう
とここまでしかわたしには考えつかない。

さて、じゃあ人間はどうなんだろうと
今度は別なことに思いを馳せておるわけです。

ストレスを厳しい環境と考えて
それが故に歪な性格になるもの根性がひん曲がって
しまうもの、人それぞれだ。
なかにはそれでも真っ直ぐで美しい人もいる。
そういうのを考え合わせると関係性は皆無じゃないが
絶対じゃない。
また、歌にあるように
哀しみ多く経験した人ほど他者に対して優しいとか
そういう人もいれば、
江戸の敵を長崎でとか八つ当たりするような
人だっているよね。
一生それを根に持って生きてるような人もいる。

人間は野菜とか果物とは違うんだな。

当たり前のことですが
そういうことを考えて結論づけました。
というか、種の保存さえ
さほどの執着もない。

そこでふと、人間にとってのそれは
生殖だけじゃないのではないか
というふうな思いが過ぎった。

うまい表現がなかなか出てこないのですが
たとればスピリットとか、かな

そういうことにさえ執着を失っている。
生命力というものが低下するのは
そこに理由があるような気がする。

・・・タイトルとうまく絡められない(汗)

キュウリ夫人の持病とかけて
椎間板ヘルニアでどうだ!