あかんたれブルース

継続はチカラかな

不要の要 フーテンの寅



これは段平から聞いた話なんだけど
寅さんの生みの親、
男はつらいよの原作脚本監督の山田洋次
幼少の頃・・・戦中か戦後すぐの話
ある男が毎日の通勤列車に乗っていたそうで
そこは労働者や行商のおじさんおばさん学生で
ぎゅうぎゅう詰めなんだそうです。
その男はこれといった仕事をしてるふうでもなく
毎朝、毎夕、その列車のなかで可笑しな話を
しているだけ。遊び人なんだな。
対して乗客のみんなは昨日の疲れ今日一日の疲れを
びっしり背負っている。
疲れた彼らの表情とは裏腹に
毎日男は調子の良い与太を飛ばす
みんなはイライラしてるかなと思うとそうでもなく
男のデタラメ話に笑ったり頬をゆるめたり
そんなある日、男の姿が消えてしまった。
聞けば、何も仕事をしない男を駅員がつまみ出し
出入り禁止にしたそうなんです。
それを聞いて乗客たちはなんでそんなことをするのか
と悔しがったそうですが、後の祭
その日から男の姿は二度とみることはなったとか・・・

山田洋次少年はその男と寅さんを重ねたようです。
そういう人間がそういう役割を担う人間が必要なんだと
考えたみたいですね。
確かに寅さんはそういう人だったな。
そうリリーと自嘲気味に語った
世の中にとってあぶくのような、どうでもいいもの
なんだけど、実はそれも必要なものであることを
作者は遠まわしに伝えていたわけだ。

世界に一つだけの花」という歌があるけれど
それぞれの役割分担ってあると思うのだ。
それを許さない許せない社会がある。
今現実にある社会がそれだ。
そういうのを画一的というのかなんというのか
要はとても居心地の悪い息苦しい社会なのだ。

たとえば、プロジェクトで重要なことは
この役割分担だといいます。
みんなが歩兵、みんなが戦艦、みんなが高木ブー
じゃだめなのだ。
たとえば『七人の侍』でもそれぞれの役割がある。
みんなが志村けん志村喬じゃだめなんだ。
11人すべてがセンターフォワード
もしくはゴールキーパーっておかしいでしょ。

そしてみんなが御輿の上に乗ろうとする。した。
そんな図を想像してごらんよ。

皮肉なことに「平等」という思想がそれを
下支えしていたりする。
いや違うよ
本来の平等ってそういうものを求めたんじゃない。
そんな声もかき消されてしまう。

なにをしたいんだ。なにを守りたいんだ。

「寅さんは映画のなかだけだから笑ってられる
 けど、あれが親戚縁者身近にいたら笑えない」

本当にそうなのか?
すべて借り物なんじゃないの

 どおせおいらはヤクザな兄貴
 わかっちゃいるんだ妹よ
 いつかお前が喜ぶような
 偉い兄貴になりたくて
 奮闘努力の甲斐もなく 
 今日も涙の今日も涙の陽が落ちる
 陽が落ちる