あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛しのエリーアホちゃんソースイ~ッ



朝ドラ『マッサン』を観てて
日増しにエリーの可愛らしさに魅了されております。
そのことで、ちょっと前から感じていたのですが
エリーってたどたどしい日本語ですよね。
そして天然さんというか素直で
とても良い人だ。
そう眺めてる自分はエリーをある種の障害者
というふうにみてるんじゃないかと。
のーたりんの山下清(裸の大将)みたいな
ほのぼのした、従順なペットに対する
気の置けない安心感があるのではないか。
たどたどしい日本語が知恵遅れの言語障害のようで
対してこちらはそれよりも上の立場という
関係性が自然とあるのではないかと。
で、もし何かの拍子にエリーが感情的になって
英語で捲くし立てたら、
ドン引きしちゃうんじゃないか、とか

いっとくけどこれは差別意識じゃないからね。

何を言いたいかというと
人間は基本的にか弱きものや健気なものに
純粋なものに対して優しくしてあげたい
そういう善良さ健全さがあるんだよなあ。
それを即時に上から目線とか決め付けて是正する
ことはないんじゃないかと。
そういうのを差別とはいわないんだ。
そこに混乱がある。

もっとも、日本にいる外国人が
み~んな親日家で、善良で、純粋無垢
なわけはない。
敬虔なクリスチャンでカフェインはおろか
アルコールなんて口にしないなんてことも
趣味は盆栽と庭園散策で好物はお蕎麦と納豆
なんてこともない。

それでもテレビとかでそういう外人さんが
紹介されると嬉しくなる。
基本的にみ~んな仲良くしたいんだ。

どんな国にもどの国でも
ひどい奴はたくさんいるものです。
偏見や差別を当然だと考えるものいるだろうし
憎しみを増幅させて呪ってるものだっている。
そこまでいかなくとも
テレビで映し出されるそういった善良を
キレイ事のインチキな妄想だと鼻を鳴らす人ブヒブヒ
それでもそういうのがいいなあと思う人には
メデタイとか長生きするとか現実はああだこうだと
煩いわけです。

めでたくて結構
長生きできていいじゃないか
なんが問題なのか?

何がいいたいかというと
戦後日本人は死というものを忌み嫌い
生きることをだけを善とする
片手落ちな(これも差別発言?)生死観を
振り回してきました。
と同時に、障害というものも
特定のある種の損と考えている。
どんなものにもどんな人にも障害はある。
それを比較して一喜一憂してもキリがない。
また、こういうことを言うことが
差別とか無神経とか上から目線じゃない。

そんなことを
朝ドラのエリーを観ながら思いました。

それにしても堤真一、いい味ですねえ。
指きりげんま嘘ついったら
浅い川に入れようか深い川に入れようか
どっぽ~ん!だったっけ(笑)
あの手の役柄がすっかりハマっている。
マッサン、しっかりしろよ。喰われてるぞ!

エリー♪マイラーブ♪ソースイ~ッ