あかんたれブルース

継続はチカラかな

『愛と侠のカルテ』の枕草子



日本映画の不甲斐ない表現に対し
「侠」の没落を唱えました。
ルイちゃんからはわからんと不興をかってますが
まだ書きたらない(笑)
なんかここにすべての歪の原因がある気がする。

そんななか、一昨日トリックスターさんが
『遊侠一匹』のレビューをアップされていた。
これ、「沓掛時次郎」なのだ。
長谷川伸の股旅戯曲の最高傑作であり
芝居や映画、浪曲、歌にまで歌われたました。
島津亜矢バージョンですが
http://www.youtube.com/watch?v=ub6-DIQfAtY

話の筋立ては、一宿一飯の義理から
なんの恨みもない六ツ田の三蔵を殺めてしまった
沓掛時次郎がその妻子(おきぬと太郎吉)を
おきぬの親戚の熊谷まで送り届けるという話。
その道中、時次郎と太郎吉、そしておきぬとの間に
深い信頼関係と愛情が芽生えていくのですが・・・
その最後の一線を時次郎は越えることができない。
誠にストイックな純愛プラトニック
任侠ロードムービーなのだ。

へん、作りもの芝居本じゃねえか
やくざはやくざ、やくざを美化するな!
とおっしゃる人よ、そりゃ早計でっせ。
フィクションだろうがノンフィクションだろうが
これを観客は受け入れたわけです。
長谷川伸がこれを発表したのが1928年。
ということは昭和3年だよ。
昭和3年といえば、戦前の戦前
済南事件とか張作霖爆殺事件の年
そして翌年には映画化されている。
主演は大河内伝次郎っていうから時代を感じるでしょ。
つまり、
日本初の普通選挙が行われた年ですよ
「愛を咀嚼していな」はずの日本の無学な民衆が
この「無償の愛」を手放しで支持したってこと。
これって驚くべきことじゃないか?

今だったら、ネットや茶の間でブヒブヒですよ。
やれ偽善だ、実は真相は、時次郎はホモだったとか
団扇がどうしたこうしたと喧しい。
でもね、世界恐慌の前夜
あの『華麗なるギャツビー』の時代にすでに
色気というものを「一途」と喝破した
長谷川伸は愛の本質を見極めていたんだ。
そして、それを日本人は受け入れた。
そこにね、この映画の「遊侠一匹」の「侠」がある。

侠客、遊侠、任侠の発祥は中国にあると記しました。
これはその時代時代によってその解釈も変容し
その意味あいも違ってくる。
忠義とイコールでもない。あるときは復讐鬼だったり
ゴロツキの犯罪者アウトローだったりもする。
驚くのはみんなの好きな『三国志』の劉備
あの情義仁徳の劉備玄徳を「正史」では
侠とは表現していないそうです。
それは若き頃の曹操とか、袁術とか
なんと悪の権化董卓などに用いられたとか。
後漢末期になるとこうなっちゃんだね。
また、日本人がその解釈に戸惑い
ひきつけ知恵熱を出す
侠客群像劇『水滸伝』がよい例だ。

時代とは別に、ここに民族性というのがあって
日本人の「侠」の捉え方は日本の風土とともに
円熟されていったと考えられる。
そのスタンダードを沓掛時次郎は体現させたわけだ。

このストイックさはお弟子の池波正太郎
鬼平犯科帳』で本筋の盗賊を
「殺さない犯さない」と定義づけたように
どんな悪人でもそこに「侠」を付随しなければ
生きる資格はないというものです。
これが免罪符なんでしょうねえ、お約束だよ。
不文律。

それは寅さんとも通じる。
実際、煮え切らないじ寅次郎にヤキモキして
新世界の劇場のオヤジじゃないけど
「いてまええええ!」と絶叫したくなるもん(汗)
だっておきぬはそっとふれただけで
手を差し伸べただけで、熟した柿のように
万有引力の法則なのだ。
み~んなが幸せになるんじゃないか?
未熟者のわたしだけじゃなく大抵の人がそう思うよ。
でも、時次郎は、長谷川伸はそこで踏ん張る。
男として、人間として、クリエイターとして
踏ん張るわけだ。
そこに日本的な「侠」の思想がある。

それは恋愛色恋と一線を画すものじゃなく
おなじ会社なんじゃないかなあと思うようになった。
ソフトバンクとウェルコムのような
イトーヨーカドーセブンイレブンみたいな
すき家なか卯のようにココスのように
なんのこっちゃ(涙)

真面目に
わたしがもし時次郎だったとしたら
おきぬが池内淳子なら、転びます。
泉ピン子だったら転びません。
有村架純だった最初から足腰立ちません。

わたしは俗物でしょうか
侠客の道は遠い