あかんたれブルース

継続はチカラかな

見知らぬ汝への手紙

それという認識の罠
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/55280507.html
の続きとして


北海道の医師はいまから20年ほど前に
末期の脳腫瘍の患者を受け持っていました。
この女性には幼子がいて、自分の死後のことを
思い悩んでいたそうです。
そして、担当医の彼にその先のことを問うのです。
「先生・・・」
この医師はそれにこたえられなかった。
こたえる術を、言葉をもちえていなかったのです。
「それはあなたの神さんに聞きなさい」

その返答は、内実逃げだったと
それからの彼を悔やませてしまいました。
そのことがあってから彼はまた別な意味で
患者と向かいあうようにしていった。

それからどれくらい時間が経ったのでしょうか
彼に言葉が生まれてくるようになったのです。
それを詩に託し、書にして
診療所の壁に張り出すようにして
訪れる患者たちに勇気を癒しを与えているのです。
誠実な人だと思いました。
地方の地域医療としてこの小さな診療所は
地元の人たちになくてはならない存在です。
医療行為だけではく、彼の診療はとても温かい。

もう一人の沖縄の医師は
10才のときに満天の星空を眺めていたとき
突如として、
自分の死を強く意識してしまったそうです。
それから
この疑問、そこからの悩みを引きずっていった。
大学生になってもそれから逃れられず
この問題を物理学という科学の原点から
解決しようと考えました。
けれども彼は工学部の学生で奨学金の関係から
卒業しなければ違う学部にはかわれない。
親を説得して、卒業後に
広島大学を再受験したそうです。

物理学を学んでも
彼の疑問は払拭されることはなかった。
そんななかで親鸞聖人の教えを妻から紹介された。
広島大学在学中に結婚した妻は
真宗のお寺さんの娘さんだったんですね。
それはそれで心を動かしましたが
歎異抄にしても理解できないことが多く
それを全面的に受け入れることはできなかった。
そして、物理学でも自分の求める答えは出ないと
いう結論をだすと、医学にそれを求めた。
医学部を卒業して、
沖縄の地元で開業医となったのは四十過ぎていた
とかいっていましたかね。
それから即、目からウロコということも
なかったんですが、この不器用な人は
コツコツこの問題に向かい合っていった。

生死というテーマです。
そして現在に至るのですが
結局彼の迷いを払拭してくれるのに
親鸞聖人の教えが手掛かりになったようです。
北海道の医師とは違ったカタチで
それを伝えようとしている。

彼の実体験から最後のエピソードとして
末期がんで死を迎えようとする友人からの
最後の手紙とそれに対する恩師の返信
二通の往復書簡が読み上げられました。
この恩師もまた癌におかされています。
時間の差はあるでしょうが
どちらも死に直面しているのです。
その手紙はどちらも感動的でした。
その日々はけっこう痛くつらいのです。
その痛みや苦痛に対して
死というある意味での絶望しかない。
にも関わらず、それを受け入れる彼らは
清清しく、心は穏やかなのです。
その人生を、生きるとを、死ぬことを
有り難いと感謝している。

それはあきらめじゃないんだよ。
こういう状況の人が語る人生観、生死観には
説得力があります。
そこに気負いも装飾も見栄もハッタリも
入り込む余地なんてないじゃない。

人間ってすごいなと痛感させられました。

魂の永遠も語っていたなあ
人間は必ず死ぬ。これはどうすることもできない。
しかし肉体は亡んでも魂は死なない。
むしろ、死は永遠の命の始まりでもある。
それは、その人のことを、その人の魂を想う
人があれば、その命は永遠にいきづいていく。
みたいなことでした。

宗教団体としての真宗は別にしても
教えとして、親鸞の思想は素晴らしいと
わたしも思います。
釈尊から七高僧、そして親鸞までの
智の系譜はこれこそ哲学だ。
それを集約させた親鸞さんて素晴らしい。
と思うよ、マジで。

でも、これは宗教の話ではなくて
誠実な人たちの話なんだな。
人間が生きる、営みの話。


一本にすればよかったんですが
長くなりそうだったんで端折ったら
一夜あけてなんか無性に書き足したくなった。
誰にどう伝えたってわけではないのですが
そういった意味でブログっていいよね。