あかんたれブルース

継続はチカラかな

受け取る受け取らない以前に

男は黙って醤油ラーメン・4


今朝の『マッサン』で意地悪姑のピン子が
エリーに女中代兼手切れ金を突きつけていた。
やるなあ(汗)
それをエリーとマッサンは受け取った。
(二人の受け取り方は違うと思うけどね)

そのときね
これが健さん、文太だったらどうしただろう?
とわたしの妄想癖がなくて七癖。

健さんだったら絶対受け取らない。
頑なに固辞するでしょう。絶対ね。

文太だったら?
文太だって受け取らないよ。
そして、その金をピン子の顔面に叩きつけた
でしょうねえ。

同じ受け取らないでも
ここが健さんと文太との違いだ。
これが東映任侠路線と実録路線の違いだね。 
その我慢劇の閉塞感に鬱屈した者たちが
一気に解放されたのが文太の衝動性。
さてどっちが人格者か?
そりゃあ健さんのほうが大人だと。
そうかなあ・・・
結局、健さんは爆発しちゃう。
「死んで貰います」
対して文太はそれなりにガス抜きしてる。
血液型でいえば、健さんはO型で文太はB型だ。
社会性としては文太のほうが勝ってる
ともいえなくもない。
これがもっと酷くなると松方弘樹
千葉ちゃんの大友勝利になるわけです。
真ん中はないのか・・・健さんと文太の間は。
それが小林旭だったんでしょうねえ。
成田三樹夫の松永とかだ。

東映任侠路線から実録路線にかけて
こういったキャラクターの派生があった。
それは健さんの預かり知らぬところです。
健さんはますますストイックに磨きをかけていく。
組織人としてのそれと個人のそれをもって
日本人のひとつの特性を体現化していったわけだ。

あの中国でも高倉健は人気なのだとか
それは文化大革命以降はじめて観る外国映画が
君よ憤怒の河を渉れ』で
東映をあとにした健さんの主演作品だったから。
健さんインパクトは強烈だったそうです。
それは、日本人ってこうなんだ。
というイメージを観るものに与えたわけですね。

当然ですが、日本人すべてが健さんじゃあない。
でもね、日本人はそういう健さんを信奉し憧れた。
それは中国人も例外じゃないんだ。
これって凄くないか!

映画というもの、俳優というものを考える。
わたし思うに、渥美清高倉健
誠実な人だったなあと思う。
不器用であっても、それを貫き通した。
それが銀幕の虚構の世界であっても、だ。
意地とか損得じゃなくてさ
そういうのって必要だと思うよ。
ピン子を正当化させてはいけないんだよ。
ましてや、
関口宏岸井成格みたいのを。