あかんたれブルース

継続はチカラかな

エリーと朝鮮と選挙



歳のせいか涙もろくなっています。
『マッサン』は亀山君の直線的な演技に
辟易してて一歩引いて眺めているのですが
エリーが階段を上る場面で悲鳴をあげてしまった。

案の定・・・

ベイビーごめんなさい。

エリーのこの台詞に
なんか泣けてしまって仕方なかった。
たかがドラマじゃないか
しっかりしろよ馬太郎。

私が悪い。私のせい。
みんなが自責の念にかられる。

誰のせいでもない。

とかく誰かのせいにする風潮が蔓延っている。
そうすればすこしは救われるのか?
それで救われるなにかってなんなんだ?
そうでもしなとやっていけない
社会とか人生とか、民族、国家とか
辟易させられる。

ドラマの話ではなく韓国のことをいっている。

近現代史をたどっていると
この国の、この民族の愚かさに辟易させられる。
福沢諭吉が匙を投げたのもわかります。
あんな国相手にするなと。

ただね、こういうのは韓国北朝鮮だけではなく
中国も、そして日本も陥ってる
傾向としての問題だと思うよ。
日本のコリア化といってもいい。
まだすこし日本人には踏ん張りがあるから
このせめぎあいで土俵際で踏ん張っていられる
ぐらいの話なのかも。

東アジアでは近代化とか国際化を
履き違えているんだ。
その呪縛は第一次大戦後のベルサイユ条約から
なのかもしれません。
いやそれ以前からかなあ

韓国朝鮮人は途方もないものを失った。
信用とか信頼というものです。
それはそのまま彼の民族に今後長く科せられて
いく負の遺産となることでしょう。
それに対して中途半端な深情けは禁物かと思う。
とことん追い込まれて
自分自身で気づかない限り
彼の民族の呪縛は解けません。

そんなこのよりも
日本人はまず日本のこと
日本人のこと
自分自身のことを見つめ考えるべきだ。
利己的な話じゃないよ。

明日、選挙ですね。
無責任に逃げないで選挙行こうよ。
この国の主導権は
私たちが握っている。