あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛せないこととセックスレス

それでも花は咲いていく 12


『それでも花は咲いていく』の第六章
「リリー」はアセクシャルの女性のお話。
異性愛者をヘテロセクシャル
同性愛者をホモセクシュアル
両方好きな人をバイセクシュアルといい
両方ダメな人をアセクシャルというそうです。
全方向性のノンケなんですね。
友情まではOKだけど、性的行為に至るとアウト。
こういう条件を背負っていると人間関係も
難しくなるものです。
その葛藤を描いた作品でした。

作品に対する批判ではなく、
私達はどこかでセックスに対して
過剰反応していないか?
セックスの氾濫を問題視するなかで
愛がなければセックスはしてはならないと
教育者は説いているけれど
反面、愛があればセックスしてもよく
なんかセックスと愛がバリューセットみたいだ。

愛があったらセックスしないといけない。

愛なんて自己申告ですから
愛を意識したらせねばならない。
という捉え方にも発展しがちです。
じゃないと「変だ」という一般常識だ。

1976年アメリカでは『タクシードライバー』で
セックスの神話が崩壊していることを描いていた。
日本で公にポルノの解禁がなされることはなくとも
ネットの普及からエロDVDはノーカットだ。
表現の自由という大義名分のおかげで
私達はセックスに対して興味を半減させてしまってる。
よろこんでるのは未成年のガキばかり
それもすぐに飽きる。
当世の若者は恋愛さえもめんどくさがっているそうな。

バブルの頃はやってナンボの世界だったけど
総じてみ~んな疲れている。
セックス自体に価値をみいだせないのか
そのためドラッグに頼ってしまう傾向も強い。

そんななかで主婦層のアルバイトで
キャバクラの延長からチャットを使った風俗が
流行っているそうです。
風俗といっても猥褻な言動があるわけじゃない。
1分100円といいましたかね。
10分で1000円。これが1時間で6000円だ。
稼ぐ人は数十万以上とか
1対複数なんていうのもあるそうです。
なにが楽しいのやら・・・

結局、受け入れてほしいんでしょうねえ。

こういう需要というか傾向は
特に今の流行りじゃないと思う。
昔、吉原で散財していた男衆
花魁から遊女までピンからキリなのですが
別にやるだけならそんな無駄金使わずに
茶屋の女郎とかヨタカでいいんじゃないか?
そこに付加価値があったんでしょうねえ。

セックスはただやればいい、満足
とはならないことを昔の人は知っていた。
それがいつのまにかセックスを商品化して・・・
そして飽きられて愛想を尽かされたわけだ。
セックスを刺激の追及とか
悟りの行みたいな捉えかたにも無理がある。

そういうふうに仕向けた下手人は社会だ。
個性を尊重するようで画一化させていき
その効率性を疑わない。
多様化とはいうもののマイノリティーを許さない。
その環境のなかに前田健の歌う
切なさはある。

別になくてもいいんじゃないの
そんなアイデアがあれば
この切なさの封印は解けるのだけども
なかなかねえ