あかんたれブルース

継続はチカラかな

豊かさは何様か

厄介なひとたち 5


あたら感受性が秀でてるがために
よけいなことで傷つき悲しみ怒り・・悩む
思慮に富むことは躊躇を招き
多くの好機を逃し、損することが多い。

そんな煩わしいもの切り捨てて
割り切ることだと世間は諭している
わけだよね。

空気を読んでみ~んなと一緒
それが最善の生き方だと。

心の貧しい人は幸い、ですか?

もっともこのイエスがいう心の貧しいとは
まったく違う意味なのですが
それがその言葉尻通りに投げかけらてしまう。

豊かさ、貧しさ

私たちはこの言葉の意味をもう一度
考えてみる必要があると思う。
豊かさは善で貧しさは悪なのか・・・
わたしはクリスチャンじゃないけれど
エスが投げかけたこの言葉にハッとさせられる。
それは宗教の次元をこえたものだ。

このブログをはじめたころに
よく「愛」をテーマに語り合いました。
そのとき必ずといっていいほど
貧困の恐怖が訴えられ
愛の尊さは認めるものの、条件として
ある程度の豊かさが必須とされた。

条件付きの愛ってどうなんだろう?

とは思ったけれど、そこで目くじらをたてても
仕方がないので、まあそれもそうかと

そんなときある友人から贈られた言葉
「ある無名兵士の詩」

 大きなことを成し遂げるために 
 強さを与えてほしいと神に求 めたのに 
 謙遜を学ぶように 弱さを授かった

 偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
 よりよきことをするようにと 病気を賜った

 幸せになろうとして 富を求めたのに
 賢明であるようにと 貧困を授かった

 世の人々の称賛を得ようとして 
 力と成功を求めたのに
 得意にならないようにと 失敗を授かった

 人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
 あらゆるものをいつくしむために 人生を授かった

 求めたものは一つとして与えられなかったが 
 願いはすべて 聞き届けられた 
 私はもっとも豊かに祝福されたのだ


決して、負け惜しみではなく
ここに福音がある。
豊かさを貧しさを履き違えてはならない
条件や言い訳にしてはならない
担保にしてはいけないんだ。