あかんたれブルース

継続はチカラかな

ムンムンぷんぷんの昭和の体臭



昔はよかった・・・なんて台詞
よく聞きます。
ついでにいうと「最近の若い連中は」(笑)
人間は今現在現状を否定し
過去を懐かしむ性質があるのか。
最近の若者のその前の若者って誰だあ?

こういった過去を良しとするのには
人間の記憶が良い想い出だけ残されて
悪い記憶は消去され淘汰されるからかな

この鬱屈した現代でさえも
10年20年経てば、昔は良かったと回顧される
のかしらん?
そう考えるとゾッとする(汗)。

それでも、昭和という時代を振り返れば
やっぱり懐古の情を隠し切れない。
昭和っていっても64年もありますから
戦前戦中戦後と三つに分けるとして
当然私たちが懐かしむのは戦後
それも60年代から70年代の
三丁目の夕日の風景でしょうか
幼年時代、青年時代を投影する記憶だ。

そういった戦後の昭和という時代を
カタチ作ったものたち
力道山美空ひばり石原裕次郎
王・長嶋、大鵬、タイガース、天地真理
手塚治虫高倉健、寅さん、ドリフ・・・

そういった時代の一片を彩った人物に
俊藤浩滋梶原一騎の名をあげておきたい。

俊藤浩滋東映のプロデューサーで
藤純子の実父です。
娘を起用した『緋牡丹博徒』シリーズはもとより、
それ以前の東映任侠路線を確立した
辣腕プロデューサーだ。

彼の出自は非常に胡散臭い。
悪の臭いがぷんぷんだ。
神戸出身で「ボンノ」こと菅谷政雄とは幼馴染
菅谷は後の三代目山口組最高幹部となる人物。
俊藤自身はやくざ組織には入っていませんが
若い頃から賭場に出入りして
相当な顔だったようです。
そういった経験から
後にやくざ映画のプロデューサーとなる。
関係者は俊藤がホンマモノのヤーさんか否か
まったく正体がつかめかったそうです。

健さんの昭和残侠伝シリーズも
鶴田浩二の博奕打ちシリーズも
仁義なき戦いの実録路線もすべて
60年代から70年代にかけての東映作品は
ほとんど俊藤の手による。
まさに一時代を築いた人物だ。

もう一人の梶原一騎は御存知
巨人の星』や『あしたのジョー』など
劇画原作者として70年代に不動の存在だった。
この時代のある種の価値観を我々に植え付けた
泥臭いオピニオンリーダーでした。

上記の代表作以外にすこし列記すれば
タイガーマスク』『柔道一直線
侍ジャイアンツ』『空手バカ一代
『愛と誠』などなど

この梶原もコワモテの人で
また実際に恐い人だった。
彼が転落する切っ掛けは講談社の社員を
ボコボコにした事件でした。
被害者の副編集長は剣道何段かの猛者だった
そうですがまったく無抵抗。
そりゃそうだよねが当時講談社内の感想で
それぐらい梶原の力は凄かった。
のですが、これを機にその権威も失墜。
マスコミからは過去の不祥事をネタに袋叩きで
同時に大病に祟られ再起不能とまでいわれた。
その凋落は見事というか唖然で
その後、彼の懺悔録的自伝を読むと
「酷いもんだ」に尽きるものでした。

俊藤浩滋にしても梶原一騎にしても
その実体はダーティーで黒と白の間の
グレーの濃い世界で貪欲にエネギリッシュに
生きた怪物であることは確かです。
そういう胡散臭い人たちが作った昭和という時代
なぜこんなに魅力的なんだろ。

人を惹きつける魅力に
一種の毒というか悪というものがある。
それが暴力だったのか熱血だったのか
血と汗のプンプンする人間臭ささが鼻をつく。

「夢もなく怖れもなく」という意識は
現代にとどまらず
達観した不変的時代認識なのだそうです。
それを考えあわせれば
あの時代は未熟だったかもしれないけれど
ドクドクと煮えたぎるような
夢もあり、恐~い時代でもあったなあと
そして、昔はよかった
な~んてあの頃の興奮を懐かしむのだ。