あかんたれブルース

継続はチカラかな

バレンタインデーに哲学する



「哲学」という言葉は
幕末・明治維新に日本が西洋文明を受け入れる
際につくられた造語なのですが、
その語源はギリシャ語のフィロソフィア
フィロス(愛)とソフィア(知)の言葉の
結合からなっているそうです。

これを知を愛する
「真理を知ろうとし努力し、
 真理を探究しようと希求する」姿勢を
あらわすものだといいう。

ま、それに異存はないのですが
これを素直に「愛を知る」と直訳してみるのも
一考ではないかとも思った。
御存知のように西洋の愛と
東洋の、日本の愛では意味が違います。
それまで日本にはLoveの観念がなかったわけだ。
それさえも「愛」と力業で訳したほどです。

西洋の哲学とキリスト教の神は密接にリンクしてて
その真理を解く手がかりには絶対的な神の愛がある。
たとえそれが釈迦の方便であっても
それが考えるうえでの突破口だったことは
間違いない。
だから哲学を「愛を知る」学問としても
そう間違いはないんじゃないかなあ

今日、2月14日は聖バレンタインデーです。
その発祥の意味はまた違っても
この日は愛の日としてすっかり浸透してる。
宗教なんか関係ないく菓子屋の目論みも関係なく

息子が学校から帰って来て
一転、上野に行って来ると出ていきました。
チョコをもらってさっき帰宅した。

うらやましい。

息子よ、哲学しろよ。