あるツッパリ人生と兄弟愛
ムンムンぷんぷんの昭和の体臭(2)
その梶原一騎の実弟に真樹日佐夫という
劇作家がいる。
その下に日佐志をいれて梶原三兄弟という
のだそうですが。
真樹がペンネームを使いわける(?)せいか
いまひとつピンとこない。
著作数は兄一騎におよばないまでも
かなりの数の数のようです。
特に格闘技とか空手に入れ込んでいたほうでは
なかったからかもしれませんが
そんなわたしら世代にリアルタイムで一番
ピンとくるのは少年マガジンに連載されいた
影丸穣也作画の『ワル』でしたかね。
(わたしが小学校6年あたりから中学2年ぐらい)
真樹日佐夫自身、相当なワルだったようで
少年院にも2回ほどやっかいになっている。
そういった体験をもとに彼の作品の特徴を
なしているようです。
古希を迎えてとして
『ああ五十年 身に余る』なる著書がある。
古希といえば70歳なのですが
この本の表紙や口絵にある真木の写真は
パンチパーマにサングラスと
もろ若いチンピラ風情の有り様だ(汗)。
意識的に若い頃の写真をチョイスしてんでしょう。
そういうスタンスが真樹日佐夫という人を
表しているのかもなあと思った。
その風貌はなかなかの男前で
東映の大部屋男優でも十二分に通る
宍戸錠の弟といっても通るかもね。
兄一騎も真木も作家を目指していた。
漫画の原作者ではなく、純然たる作家を。
真木自身は若い頃
オール讀物新人賞受賞なども受賞している。
小説のジャンルにピカレスク(悪漢小説)とか
極道モノなんていうのがあります。
職業としてのノンフィクション作家は別として
ホンマモノのお歴々がその体験談を綴るものから
グレーゾーンから、またまったくのフィクション
まで様々。
安藤組の安藤昇はモロの元祖みたいなものです。
溝下秀男(工藤会三代目会長)という
とんでもないエンターテイメントもいた。
彼らはまったく真っ黒ケのケの人たち。
浅田次郎さんもデビュー当初は
それ(元企業舎弟)で売っていたものです。
ちょっとグレーかな。
作風から昨年度の直木賞を受賞した黒川博行も
そのジャンルですが、まったくの堅気の白だ。
では、真樹日佐夫はというと
かなり濃いグレーなんでしょうねえ。
『岸和田少年愚連隊』の中場利一といい勝負
なんていったら真木さんに叱られそうですが(笑)
ま、上記の自伝本にも「ワル自伝」とあるから
許してくれることを祈る。
三年ほど前に他界しているんだ。
『ああ五十年 身に余る』は遺作となるわけですが
その文体から、生涯やんちゃだったことが偲ばれる。
生前の真樹日佐夫を一度だけ見たことがある。
正確には生前の梶原一騎と一緒に。
あれはわたしが駆け出しの23、4歳ぐらい
だったでしょうか。
その頃はまだ出版業界も盛況華やかな時代で
毎年暮れになると各出版社各編集局編集部で
忘年会年末パーティーが都内各所で催されていた
ものでした。
そんななかでも新宿京王プラザで開催された
小学館のパーティーは鳳凰の間かなにかの
大きな会場で壮観なものだった。
広い会場をうろちょろしてたわたしは
その一角に異様な集団を発見する。
杖を手にして椅子に腰をおろすカクシャクとした
老人・・・いやあれは梶原一騎ではないか。
暴力事件の後、大病したという梶原一騎が
見る影もなくやせ細ってしまって
それでも復活をアピールするためか
公の場にこうして登場してきたわけだ。
その背後には二十数名の警護の子分を従えている。
まるでやくざだよ(苦笑)
そして、梶原の横に両足を15センチほど開いて
武道でいえば自然体の構えで両手を後ろに組んで
白い派手なスーツにサングラスの若頭補佐・・
それが真樹日佐夫だった。
噴出したくなるほど絵になっていた。
芝居がかってもいたわけですが
その斜め後ろの壁際には少女漫画家の集団が
申し合わせたようにフリルの服とベレー帽で
整列してたのが対照的で芸術的でもあった。
ちょうど梶原一騎襲撃という噂があった頃です。
真樹は真樹で、そんな兄貴を
守っていたんでしょうね。
梶原一騎はその懺悔録にもあるように
あまり質の良い人間ではない。
また、評判もすこぶる悪かった。
そんな梶原なのですが、真樹の本に出てくる
この長兄はすこぶる優しいのだ。
泥臭く粋がった文章ではあるけれど
真樹が描く日常のなかの梶原一騎は
男兄弟のそこはかとない温かみがあった。
実際この梶原三兄弟は仲がよかった。
あっさりはしていても渇いた感じはないんだよな。
世間がすべて敵になっても
兄貴は俺が守る。
そういう気迫がムンムンしていた。
なんかそういう純情を憎めない。
滑稽だと笑えない。
うらやましくも思う。
自称「ワル」を最期まで貫いた男は
2012年の正月に風邪をこじらせて死にました。
世間からハナツマミ者扱いされて死んでいった兄
の死から数えて25年
ああ五十年 身に余る という思いを残し。
なんかね、あの京王プラザの強烈な記憶と
この本に描かれるちょっと臭い兄弟愛と
不器用な兄弟の生き様の点が線で結ばれて
ちょっと暖かいのだ。
あの無骨でモロ体育会系の梶原一騎は
『愛と誠』でその愛を
「君のためなら死ねる」といわしめた。
それは中坊の我々の福音ともなったものです。
愛とは、たとえ世界を敵にまわしても
自分だけはお前の味方だ。
勝海舟もそんなことをいっていた。
愛を色恋だけのものではなく
フロムがいうように
親子の、兄弟(隣人)の、神との、
というようにもっと広く捉えてみると
その本質がすこしはみえてくるのではないか。
とくに梶原一騎や真樹日佐夫を尊敬崇拝
するものではないけれど
うらやましいと思いました。
その梶原一騎の実弟に真樹日佐夫という
劇作家がいる。
その下に日佐志をいれて梶原三兄弟という
のだそうですが。
真樹がペンネームを使いわける(?)せいか
いまひとつピンとこない。
著作数は兄一騎におよばないまでも
かなりの数の数のようです。
特に格闘技とか空手に入れ込んでいたほうでは
なかったからかもしれませんが
そんなわたしら世代にリアルタイムで一番
ピンとくるのは少年マガジンに連載されいた
影丸穣也作画の『ワル』でしたかね。
(わたしが小学校6年あたりから中学2年ぐらい)
真樹日佐夫自身、相当なワルだったようで
少年院にも2回ほどやっかいになっている。
そういった体験をもとに彼の作品の特徴を
なしているようです。
古希を迎えてとして
『ああ五十年 身に余る』なる著書がある。
古希といえば70歳なのですが
この本の表紙や口絵にある真木の写真は
パンチパーマにサングラスと
もろ若いチンピラ風情の有り様だ(汗)。
意識的に若い頃の写真をチョイスしてんでしょう。
そういうスタンスが真樹日佐夫という人を
表しているのかもなあと思った。
その風貌はなかなかの男前で
東映の大部屋男優でも十二分に通る
宍戸錠の弟といっても通るかもね。
兄一騎も真木も作家を目指していた。
漫画の原作者ではなく、純然たる作家を。
真木自身は若い頃
オール讀物新人賞受賞なども受賞している。
小説のジャンルにピカレスク(悪漢小説)とか
極道モノなんていうのがあります。
職業としてのノンフィクション作家は別として
ホンマモノのお歴々がその体験談を綴るものから
グレーゾーンから、またまったくのフィクション
まで様々。
安藤組の安藤昇はモロの元祖みたいなものです。
溝下秀男(工藤会三代目会長)という
とんでもないエンターテイメントもいた。
彼らはまったく真っ黒ケのケの人たち。
浅田次郎さんもデビュー当初は
それ(元企業舎弟)で売っていたものです。
ちょっとグレーかな。
作風から昨年度の直木賞を受賞した黒川博行も
そのジャンルですが、まったくの堅気の白だ。
では、真樹日佐夫はというと
かなり濃いグレーなんでしょうねえ。
『岸和田少年愚連隊』の中場利一といい勝負
なんていったら真木さんに叱られそうですが(笑)
ま、上記の自伝本にも「ワル自伝」とあるから
許してくれることを祈る。
三年ほど前に他界しているんだ。
『ああ五十年 身に余る』は遺作となるわけですが
その文体から、生涯やんちゃだったことが偲ばれる。
生前の真樹日佐夫を一度だけ見たことがある。
正確には生前の梶原一騎と一緒に。
あれはわたしが駆け出しの23、4歳ぐらい
だったでしょうか。
その頃はまだ出版業界も盛況華やかな時代で
毎年暮れになると各出版社各編集局編集部で
忘年会年末パーティーが都内各所で催されていた
ものでした。
そんななかでも新宿京王プラザで開催された
小学館のパーティーは鳳凰の間かなにかの
大きな会場で壮観なものだった。
広い会場をうろちょろしてたわたしは
その一角に異様な集団を発見する。
杖を手にして椅子に腰をおろすカクシャクとした
老人・・・いやあれは梶原一騎ではないか。
暴力事件の後、大病したという梶原一騎が
見る影もなくやせ細ってしまって
それでも復活をアピールするためか
公の場にこうして登場してきたわけだ。
その背後には二十数名の警護の子分を従えている。
まるでやくざだよ(苦笑)
そして、梶原の横に両足を15センチほど開いて
武道でいえば自然体の構えで両手を後ろに組んで
白い派手なスーツにサングラスの若頭補佐・・
それが真樹日佐夫だった。
噴出したくなるほど絵になっていた。
芝居がかってもいたわけですが
その斜め後ろの壁際には少女漫画家の集団が
申し合わせたようにフリルの服とベレー帽で
整列してたのが対照的で芸術的でもあった。
ちょうど梶原一騎襲撃という噂があった頃です。
真樹は真樹で、そんな兄貴を
守っていたんでしょうね。
梶原一騎はその懺悔録にもあるように
あまり質の良い人間ではない。
また、評判もすこぶる悪かった。
そんな梶原なのですが、真樹の本に出てくる
この長兄はすこぶる優しいのだ。
泥臭く粋がった文章ではあるけれど
真樹が描く日常のなかの梶原一騎は
男兄弟のそこはかとない温かみがあった。
実際この梶原三兄弟は仲がよかった。
あっさりはしていても渇いた感じはないんだよな。
世間がすべて敵になっても
兄貴は俺が守る。
そういう気迫がムンムンしていた。
なんかそういう純情を憎めない。
滑稽だと笑えない。
うらやましくも思う。
自称「ワル」を最期まで貫いた男は
2012年の正月に風邪をこじらせて死にました。
世間からハナツマミ者扱いされて死んでいった兄
の死から数えて25年
ああ五十年 身に余る という思いを残し。
なんかね、あの京王プラザの強烈な記憶と
この本に描かれるちょっと臭い兄弟愛と
不器用な兄弟の生き様の点が線で結ばれて
ちょっと暖かいのだ。
あの無骨でモロ体育会系の梶原一騎は
『愛と誠』でその愛を
「君のためなら死ねる」といわしめた。
それは中坊の我々の福音ともなったものです。
愛とは、たとえ世界を敵にまわしても
自分だけはお前の味方だ。
勝海舟もそんなことをいっていた。
愛を色恋だけのものではなく
フロムがいうように
親子の、兄弟(隣人)の、神との、
というようにもっと広く捉えてみると
その本質がすこしはみえてくるのではないか。
とくに梶原一騎や真樹日佐夫を尊敬崇拝
するものではないけれど
うらやましいと思いました。