あかんたれブルース

継続はチカラかな

正論の胡散臭さ



暴力では何も解決しない
という正論があります。
まったくその通りだと思うのだけれど
では非暴力で解決するかというと
そうでもない。
いや別に暴力を肯定してるわけじゃないよ(汗)

ギクシャクした日韓関係に
対立では何も生まない。発展も進歩もない
なんていう正論もあります、が、と。
なんでそう発展や進歩を求める
必要があるのか?
互いがここまで不信感を募らせているのに
そこから生みだされるものってなに?
経済交流による利益か?
いったい誰のための利で、発展進歩なのか?

金持ちケンカしないなんていいますが
日本は戦後、敗戦という後ろめたさがあり
それを引け目に譲歩してきた
その結果がこれだよね。

やくざの喧嘩抗争では仲裁がはいって
手打ちとなって一件落着となります。
その仲裁人を時の氏神様といったりする。
なかなか難しい役目ですが
その仲裁人の貫禄力量のほかに
「時の」というタイミングが大きなポイントです。

そういうのを無視して
ただ、友好という大義名分を掲げ
中途半端に手打ちしようというのはどうしたものか

日韓通貨スワップが打ち切り終了になったそうです。
これは前々からやめてほしいという意見が多かった。
ここにきてようやく、という感じです。
当然そこには何でそんなことをやる必要がある
という感情論がある。
それに対して、
上記の発展や進歩云々の正論を持ち出す
人がいるのだけれど
一見見識ある意見のようで
こういう善意の垂れ流しほど危ういものはない
と思うのです。

一度双方現実というものを見つめる必要が
あるのではないでしょうか。
歴史認識ふくめて。
そういうのを先送りさせて
やれ親善だあ発展だあ進歩だという正論は
おかしいのではないか?

発展ばかり追い求める
これって不味いんじゃないか?

と、思うがよ。