あかんたれブルース

継続はチカラかな

蝕まれる平等思想と民主主義の実相



本日の透析中に隣のベットの爺さんが怒ってた。
理由は
看護士Bが来て、昨日のエコー検査を
忘れて行かなかったとことをなじられたからだ。
「聞いてないよ!」
その剣幕にBは一瞬たじろいものの
「そんなわけないんだけどなあ」と
絶対いっているとやんわりネチネチ言い募る。
まるで幼子をあやすように。
それでも爺さんは頑として引かない。
言った言わないの世界さ。

わたしは知っている。
その連絡は確かにありました。
昨年12月15日だ。
看護士Cこと南大東島が確かに言った。
そのときのやり取りは
「エコー検査の予約がとれました。
 3月の2日○時からです」
12月の中旬に来年の3月のことをいわれて
爺さんも隣で小耳にはさんだわたしも困惑。
「そんなこといわれても……」と口ごもる爺さん。
対してCはカレンダーに印つけておいてください。
と事務的に処理しようとする。
「カレンダーなんてまだ買っていないよ」
会話はそこで終わり。
Cはさっさと向うに行ってしまった。
やれやれこれでひと仕事処理したみたいに。
特にプリントを渡すでもなく。
とても印象的というか象徴的な出来事だったので
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/55384449.html
ほら、ちゃんとブログの記事にもしてる。

結局、わたしの予想どおり
その前の週とかに
「来週月曜日は○○病院で外来検査ですからね」
なんてケアは一言はついぞなかった。
ずっと隣にいるからねえ。

最後は院長の回診のときもその話が蒸し返されて
爺さんが「そんなこと言われても聞いていない」
と頑として認めない。
で、クリニック側はおかしいなあ
また年寄りの戯言か、で片付けてしまう。
後で誰が連絡したかを確かめて
Cだったとわかっても
「ちゃんと連絡しました」で事はおしまい。
年寄りのせいにしてしまう、だけ。
この人たちには一生わからないかもしれません。

その間に、「昨年12月15日に言ったよ」と
口を挟もうかなとも思ったけど、やめた。
それでもピンとこないだろうなと。
逆に、ほらね。なんて有り得るからねえ。
困ったものだ。
このクリニックの院長以下の職場環境
っていうのもありますが、こういうのが
蔓延っている。それが今の日本社会の実相だ。

川崎の事件でも教育委員会や学校側は
何回電話して何度家庭をたずねたかを
強調していましたっけね。
何回行こうが結果がこれじゃあ意味ない。
始終、自分たちの保身に奔ってた。
何かあるマスコミが騒ぐし
法的に問題がなければいいのだ。
公務員は特にその傾向が強い。
教師は公務員ですからね。
ま、上記のケースのように民間でも
似たりよったりなんだな。

効率性の追求と減点評価
余計なことはしなが肝心みたいな処世。
それでキャリアだスキルアップだと宣まう。
これこそ空洞化なんじゃないの。

ある文科省の人は「評価の在り方の見直し」を
熱く語っていましたが、
現場からしてこれですからなかなか難しい
と思うよ。
下手なことしたら同僚から足を引っ張られる。
余計なことするな、迷惑だと。
嫌な世の中になっている。

時々わたしが何かの理不尽や矛盾に
抗議したり怒ったりしても
気難しいオヤジぐらいにしか思われないのだ。

実はこれって
みんなが大好きな民主主義の実相なのだ。
そのなかの「平等」という考え。
その平等は何を基準に解釈されているのか?
民主主義民主主義と胸を張るけれど
今一度考えてみたがいいよ。
安全神話と同じぐらい形骸化している。
多数派(マジョリティ)は常に見誤っている。