あかんたれブルース

継続はチカラかな

別にやくざを美化しちゃいないさ

大人の発達障害(7)


今朝のネットニュースで川崎の事件に関連し
保護司の激減がアップされていました。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6153897

先週末、ネットニュースからなぜか
無料配信の映画に流れて恥ずかしながら
東映Vシネマの『日本統一』を観てしまった。
恥ずかしながらというのは
18年前にVシネマには愛想尽かし
決別したのに
なんか意外に観られてついつい
オールナイトでパート7まで観ちゃった(汗)
難点はあるけれどもまあまあ観られたわけです。
その魅力のひとつに古井榮一という男優の存在が
ありました。
福岡出身だという。
同じ歳・・・自分もこんな感じのオッサンなのか?
このシリーズを引き立てるこの俳優の功績は大だ。
ついつい彼の出演作を観てみたくなっちゃう。
こういう味のある俳優が少なくなった。
総じてVシネマ系の男優は嫌いです。
哀川翔も小沢仁志も竹内力とかも嫌だ。

仁義なき戦い』シリーズから
県警対組織暴力』など以来、その後を探して
いたのですが、ついぞめぐりあうことなく
唯一『シャブ極道』(大阪極道戦争・1996年)
監督・細野辰興、主演・役所広司
ぐらいしかなかったのだ。
愛想を尽かすまでの不毛な20年でした。
そんなこともあってたけしの『アウトレイジ』に
Vシネマ撮ってんじゃないよ馬鹿!」
と激辛評価だったのだ。

ま、それはいいとして
以前なにかの本で、やくざには統合失調症が多い。
なんて解説があってそれがこびりついていた。
やくざは部落出身者と在日と流布されていますが
そっちには納得したり疑問を感じたりでした。
これは昨今の「右翼には在日が多い」以上に
悩ましいテーマなのだ。私的にはね。

この「やくざには統合失調症が多い」についても
最近考えていたんですよね。
なんであそこまで過剰に激昂するのか?
これを唱えた人(確か心理学者か精神科医)は
その過剰反応を被害者妄想と結びつけたのかもね。
現代であれば
「愛着不形成」も大いに関係するだろう。

大西巨人がいったとされる
非行は健全なる青年の発達のプロセス
みたいな提言が空しくなる昨今の有り様には
それを健全とするのに躊躇する。
限度限度がある。

ただ、ここで「発達の」という点に着目すれば
その発達を経ていったものは成功し
その発達を得られなかったものは破滅したか
一生燻ったままだった。は様々な記録から
燻りだすことはできると思う。
つまり、やくざ者を統合失調とか愛着不形成など
とするよりも発達障害として
それを克服できたものが
独立自立の切符を得られる。
これやくざだけではなく組織での当然の摂理だ。

この曖昧なニュアンスをやくざ社会では
「利口では駄目で馬鹿でも駄目」というような
いいまわしで上手く表現しています。

なんてことのない『日本統一』というVシネマ
主人公の氷室の成長過程と
その兄弟分田村の対比からも
そのことを考えさせられたものでした。
仁義なき戦い』ではそれを「時代性」としていた。
それは武田と大友勝利を対極と位置づけて
主人公広能をその中間地点におくものだった。
その相克と葛藤が面白かったわけです。
なんといっても『仁義なき戦い』(広島抗争)の
影の主人公である波谷守之の足跡をたどってみると
その発達のプロセスがよ~くわかります。

ま、これも過去の話であって
企業同様にみょうにグローバル化した日本では
「組織は人をつくらない」といった後藤新平の言う
通りに成り下がってしまった。
企業はブラック化して経済至上主義に邁進する。
やくざの世界のグローバル化はイコール韓流化だ。
えげつなく描かれるから余計に拍車がかかる。
環境悪化が嫌な相乗効果になっている。

昔は親の手に余る極道息子は町内の親分に預けて
男にしてもらうという受け皿があったものです。
それは戦前の話で博徒が博打をテキヤが商売を
できた時代の話ですけどね。
そういうふうにやくざを追い込みマフィア化
させてしまったのは
GHQでも警察でもなく、私たち一般市民だ。
もとのやくざに戻せっていっても無理だね。

除菌除菌とやまかしい世の中です。
社会のばい菌とされていくものたち・・・
不良も障害者もちょっと変わった連中は
排除されていく。

このオチは「そして誰もいなくなった」だね。