あかんたれブルース

継続はチカラかな

長生きはしたくない



神社仏閣でのお祈りの定番に
長生きという願い事があります。
しかしそれってマジなのか?
なんとなく・・取りあえずじゃないの?
まだ万馬券とか宝くじが当たりますように
のほうが現実味があるような気がする。

これもユングシンクロニシティ
(「意味のある偶然の一致」)現象なのか
母親の痴呆に向き合う場で
ジブリの『ハウルの動く城』とカチあったり
と思いきや昨日はBSで『恍惚の人』を鑑賞。
有吉佐和子の同名小説(1972年)の映画化。
公開は1973年。
この当時から痴呆や介護は社会問題化してて
大変なベストセラーだったようです。
恍惚の人」は当時流行言になってたもんね。
それから四十数年・・・
他人事ではすまされない身近な社会問題だ。
映画では森繁久弥の怪演と
現実の残酷さで高峰秀子の最後のモラルの踏ん張り
を絡ませて描いていましたが
なんとも気の重い作品だった。
あれと比較したらウチなんてマシなほうです。
またあれ以上の状況の人だって少なくないんだよね。

痴呆を子供返りと捉えたりもしますが
子供は成長して右肩上がりなのですが
年寄りはその逆だ。
どんどん悪くなって最後の死を迎える。
そこが家族のつらいところでしょうねえ。
そこに苛立ちが生じる。
ちょっと前に介護施設での暴力がニュースになった。
つまり誰もがその恍惚を純粋とか
子供返りと達観できない。
家族であればなおのことです。

あんなにしっかりしていた親が・・・
経験や知識を身につけてきたはずの人間の
これが最後の姿かと思うとやるせない。

ご長寿大国ニッポン
よくニュースで100歳を超える長寿者が紹介されます。
でもほとんどが寝たきりの場合が多く
その介護者は80歳を超えた年寄りで
介護される側でもおかしくない。
老老介護というやつですね。
と、延命医療のスタンダード。倫理?
長生きすることに異義はありませんが
もっとその中身に踏み込まないといけない
んじゃあないでしょうかね。

人間が人間らしく生きて死ぬ
その難しさを考えさせられます。
キレイ事で鼻を括るのは簡単ですけどね。
つまり生死観というものなんだろう。
そういうのがすっぽり欠けていたんだと思う。

恍惚の人』ではヒロインの高峰秀子の葛藤と
対して夫や義妹の身勝手さを対比させていました。
孤立していく良識・・・
これじゃあ生きていても仕方ないという考えから
はやいところ死んでくれたらという思い。
これは身勝手なエゴなのか
それとも愛憎の一種なのか
そして先々必ず自分も同じ立場になる。

あ~あっ、長生きはしたくないねえ(汗)