あかんたれブルース

継続はチカラかな

お母さん入歯箱



『お父さんの石鹸箱』という
エッセイがありまして
これは山口組三代目組長田岡一雄の娘
田岡由伎が父への想いを綴ったのも。
彼女はシンセサイザー奏者の喜多郎の妻
離婚しちゃいましたけどね。
当時は不思議な取り合わせだなあと。
わたしたち仁義フリークには異色の文献でした。
広島抗争でダイナマイトを自宅にぶち込まれた事件も
平和な家庭を唐突に襲ったびっくりポンとして
描かれておりました。
神格化された稀代の大親分とはちょっと違った
事件的なノンフィクション作品でもなく
ごくありふれたお父さんと娘の交流を綴ったもの。

母親が入院してた3週間の間
わたしは朝昼晩の食事の後で
母親の入歯の掃除をするのを日課としていた。
サチコが戻るときに自分はポリデントは使わない
と宣言し強要していったのだった。
こういうこと今までやったことがなかったので
最初はなかなか踏ん切りがつきませんでした。
正直、腰が引けてたわけだ。
ところがさ、これが慣れてくると
意外と楽しかったりする。
楽しいという表現はちょっと変ですが
なんかうれしいかったり
なんだろうねえあの感覚は・・・
馬太郎的にはお母さんの入歯箱だったのだ。

贖罪とか償いとか
そういうのもあったんだろうと思う。
一人暮らしをさせてしまていた
後ろめたさってやつが喉元に刺さった小骨
みたいだったんだよね。
無論、そんなことでチャラにできないわけ
なのですが、なんかさ
そういう場を与えられたことが嬉しかった。
介護といっても実は何をどうやっていいのか
わからないわけだ。
社会人一年生の新人さんが
自分の役目を手に入れたみたいなニュアンスに
似てるのかもしれませんね。
必要とされている場を得たということか?
だから献身的というのとは違うんだ。

それでも母親はとても嬉しそうでした。
また、周囲から「いい息子さんだね」と
いわれることも嬉しいようです。
そういうのも含めての親孝行だったんだろうなあ
と思い返しております。
身内であればあるほどストレートな愛情表現
というのは難しいものだ。

病院ではわたし同様に近親者の入歯を磨く
人たちがいました。
自分でやらなくても担当ナースがやってくれる
だけどそこにちょっとした喜びがあることは
やっている人にしかわからないのかも。
義務としてつらく思うか
ちょっとした勘違いであっても
楽しくできるか
その差は大きいなあと思った
馬太郎のお母さんの入歯箱でした。