あかんたれブルース

継続はチカラかな

焼き豚のないラーメンは問題だけど



『はじまりのみち』を観ました。
ある映画監督の挫折
そこから新たな出発のはじまりのみちを描いた作品。
その挫折とは戦争による表現の規制。
その挫折とは戦争というささくれだった時代。
これは映画監督木下恵介の自伝的な作品で
戦時中に撮った『陸軍』という作品(ラスト場面)が
軍の検閲から女々しいと批判され
次の企画を潰されて、くさった若き木下は松竹を去り
故郷浜松に帰って、病身の母をリヤカーの乗せて
疎開地まではこぶその過程を
ロードムービーのように描いたものです。

なかなか味わいのある温かい映画でした。
この昭和19年という戦時佳境のなかで
ただひたすら母を乗せたリヤカーを引いて
坂をのぼる主人公のひたむきさかたくなさ
苦行のなのか反抗なのか孝行なのか
様々な思いが交差するなかでまた一歩前に進む。
31歳のあるクリエイターの模索の旅なのだ。

家族愛をテーマにする作品は少なくありませんが
一緒に同行する兄役の ユースケ・サンタマリア
がなかなか良いです。
ポスト岸部一徳の期待。それも血の通った(笑)
この木下家の両親はよくできた親だったとか
そういう親に育てられるとこういう子供
こういう家族となるのだろうか
そんな思いを狂言廻し的役割の便利屋濱田岳
代弁してこぼしていたっけね。
父親役もよかったので、あれは誰だっけと
ネットでキャストを検索したら
この作品の批評が目に入った。
けちょんけちょんにコキおろされていた(汗)
そんなにヒドイとは思わなかったけどねえ。

「敗北の映画である」という
このタイトルの敗北は敗戦をさすわけでもなく
戦時中のクリエイターたちの敗北を意味するのでも
なくて、率直にこの作品、監督の原恵一の敗北
だという辛らつなものでした。

色々な意見があってもいいという大義名分が
横行しております。それを否定はいたしません。
だったら、
(意見・批評)主張することもまた表現であり
その論評もまた批評されるのが筋だと思う
ので一席ぶちます。
わたしはこういった今時の映画評論が好きくない。
なんか対岸の一段高い外野席で野次飛ばし
ついでに自己主張するような底意地の悪さが
プンプンだ。
沢庵の逸話も手前の味噌漬けの手前味噌にしか
聞こえてこない。
こういうのは荻窪のラーメン屋で
味噌ラーメンじゃなって三時間ごねてるのようなもので
だったら道産子イケ!とツッコミたくもなる。
ラーメンにチャーシューが入ってなければ問題だけど
やれホウレン草が入ってないとかいうのと同じで
可愛いくもないゴタクの駄々っ子のようだ。

はやい話が気にくわないので反目に立ちます。
テキストはこちら
http://k-onodera.net/?p=787

小野寺系氏はこの作品をスケールが
小さいとしてあれこれ注文をつけている。
氏のなかにはこういうのはこういう風に撮る「べき」
というプロ的なセロリかパセリがあるようだ。
別に観ててそんな違和感はなかったけどねえ。
予算とかシバリのなかで作ることは
戦時中でない現代でも
普通にむしろ沢山、あるものです。
要はそのデキ次第であって、まそれが
氏が気に食わないといえばそれまでなんですけどね。
俺はそんなお前が気に食わない!

ひとつだけ氏の疑問で注目できたのは
「戦争のために好きな題材の映画が撮れないというのが木下の不満であるはずなのに、軍部から『陸軍』を批判され、新たな特攻隊の映画の企画(これももちろん国策映画)を降ろされたということで、映画監督を辞めようとする」
この心情が理解不能だとする点だ。
確かに戦意高揚を目的とする国策映画時代に
情報局から睨まれるのは当然であって、
その縛りのなかでの次回作を潰されたわけです。
仮にボツになった特攻隊作品が撮れたとしても
今度は『陸軍』以上の干渉があったと想像できる。
それでも木下は思いを通せると考えたのか?

いやつまりだからこそ
木下は松竹を退職したのではないか。
その現場で苦悩葛藤することが耐えられなかったのだ。
だから、重役が親身に懇ろに引き止める
にも関わらず頑なにそれに背を向けたことは
そう理解に苦しむほどのことじゃない。
31歳ってまだ若いからねえ。
ちょっと意地悪な言い方だけど31歳の木下恵介
敵前逃亡したわけです。それを誰が批判できるのか?
それとも蒲田撮影所の玄関口で自決でもしたら
天晴れだったというのか。
♪あなたなーらどうする byいしだあゆみ

木下の逃れの町は故郷浜松の家族のもとだった。
年老いて病の床に臥せる母親のもとだった。
そして、木下恵介から木下正吉に戻り
母親をリヤカーにのせて山越えを敢行する。
必要とされなくなってしまったものが
必要とされる場を求める心情をわたしゃ決して
理解不能とは斬り捨てられない。
逃げる手だってあるわさ。
あの時代はクリエイターにとって
冬の時代それも極寒だったと思う。
結局、逃げ場のない朝日新聞は変節し
クリエイターとしての尊厳と信用を失ったわけです。
若き木下恵介は個人としてのクリエイターとして
逃げたのだ。悲鳴をあげるように。

そういった喪失感のジレンマ鬱屈のなかで
狂言廻し的役割の便利屋濱田岳が、
そしてラスト近くで沈黙してた母田中裕子が
木下の背中を押す。
これがこの作品のタイトル「はじまりのみち」
だったわけで、ラストのそれからの道を
戦後の木下作品で流すのも
ニューシネマパラダイス』のようで
カレーライスの伏線もよく効いていたと思う。
川辺の二十四の瞳同様に。
その再出発から巨匠木下恵介は生まれたんだ。

ま、ただ単に自分が気に入ったものを
貶されたんで腹立てたオヤジのゴタクなんですけどね。

牛の糞にも段々があって、と申します。
これは仁義なき戦い完結篇で大友勝利(宍戸錠)が
放った台詞なんですが
この牛の糞の段々ってものを考えると
それは馬の糞じゃ段々にはならないんだ。
馬の糞と牛の糞は違うからね。
で、その地べたに私たち民衆とか観衆とかがある。
その上に糞みたいなのがのっかっていると考える。
そういうのをひっくるめて権力とかいう人もいるし
時代の雰囲気とか環境風潮だとか色々。

戦時中に木下たちに圧力をかけた官憲も
その糞の下の段の一番重い部分だ。
細川隆元風にいえば「兵隊坊主」である。
しかし細川など当時の新聞記者もその上の段の糞
だったわけで、そうじゃないと新聞は出せない。
そのことに反省もない細川はインテリ坊主で
はやいはなしがみんな糞坊主なのだ。
なに書いてるわかんなくなるなあ(汗)

すくなくとも『細雪』の谷崎潤一郎とか
変態ではあっても糞ではない。
そして若き木下恵介も糞じゃないのだ。
その時代の重石のような糞の上の
ひとひらの桜の花びらのように
なんか変な表現だな。
よし、こうしよう。
うんこも固まって季節も変わり春となって
そこから一輪の花が咲く
ささくれた時代のうんこが肥やしになって
頑固者が一念を通したってとこでしょうか。

対していまの時代の糞ってなんだろう。
いったい誰が重石になっているんだあ?
そういう重石だけじゃあ花は咲かない実らない。
それでもそういううんこのなかから
それは生まれる。
決してそんなうんこがそれに変身するんじゃない。

そうそうこの作品の父親役が良かったんです。
斉木しげるだったようですが、あんなんだったっけ?
父親が息子を認める場面がありました。
やっぱりいい家庭だなあと
羨ましかった。
『はじまりのみち』はこじんまりした小品
ではありますがなかなかの拾い物です。
いまネットで無料配信してますから
御用とお急ぎでない方は是非どうぞ。
確かに濱田岳が出すぎてますが、それはそれで
味として大目にみてあげておくれ。
要は上手すぎたんだよね。