あかんたれブルース

継続はチカラかな

旅路の果てから

♪ここは鹿児島旅路の果てか
森真一の港町ブルースの最後に歌われている
のがわたしの故郷です。
でもね、ここからまだ先があるんだよおおお
薩摩半島を西に海岸線をなぞっている
坊津、泊、そして久志・・・
入り組んだ入り江は風光明媚で焼酎のCMにも
よく使われています。

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でね、わたしの今回の帰省の目的のひとつには
この旅路の果ての
もっと果ての久志を訪れることがあったのだ。
息子が来春から学ぶ千葉工大の創設者・小原國芳の
出身地であることからでした。
正直、灯台もと暗いし東京生まれ109行ったことない。
みたいなもので全くノーマークf^_^;

そういえば・・・古い記憶をたどって

「最後の私塾創立者」といわれた小原國芳
その関連図書を取り寄せて
読めば読むほど・・偉い人だと感心
一度その生誕の地、彼が故郷に創った玉川学園の地を
見てみたいと思ったのです。

そのことを地元の親友アリちゃんに言ったら
「今がい行んな」とブーっと久志まで連れて行ってくれた。
アリの軽のベンツで15分ぐらいで着いたよ(*^-^*)
車中でアリから意外な話を聞いた。
小学校時代に小原さんが桜山小学校創立記念に
卒業生来賓として招かれて講演した後
生徒全員と握手したというのです。
当然、アリも握手したんだという。
わたしは別の市内の小学校なので知らない。
そのときの講演をアリはまだおぼえてるという。
「私は嫌いなボウが三つある。
ひとつがヤッセン坊、」
ヤッセンボウというのは意気地なし臆病者ヘタレ根性無し
という地元の方言です。
ふたつめを聞こうとしたら久志に着いてしまった。

小原さんが亡くなったは1977年
私達が高校三年の12月
なんかつい最近というかリルタイムで同じ時代に
生きていたのかと思うと感慨深い
ものがあった。

その生誕地の地は久志の狭いメイン道路沿いにあって
すぐにわかりました。
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昼過ぎで逆光でしたねえ(-_-)