#伝記、自伝
朝おきてカーテンを開けたら 雪が積もっていた。 受験生たちよ滑らないように気をつけて。 ダイヤも乱れているようです。 だから春入学じゃなくて秋入学に戻せば よかったものを・・・頑迷な教職者と保護者たち 保守的だよねえ。 さて、大人の愉しみ という…
旅路の果てから(4) 小原國芳は明治明治20年(1887年)に 鹿児島県川辺郡坊津町久志(現在の南さつま市)で生まれました。 父親は西南戦争で西郷軍として参加。敗れて福岡の獄に投じられる。 恩赦で帰郷した後、金山経営に手を出し見事失敗。 一家は極貧の…
♪ここは鹿児島旅路の果てか 森真一の港町ブルースの最後に歌われている のがわたしの故郷です。 でもね、ここからまだ先があるんだよおおお 薩摩半島を西に海岸線をなぞっている 坊津、泊、そして久志・・・ 入り組んだ入り江は風光明媚で焼酎のCMにも よく…
そんなわけで下痢ピーの話 五月に入って暖かくなりました。 ついついおとぎ話の王子でも昔は食べられない アイスクリームを食べました。 そしたら・・・ その翌日、わたしは東京武道館に息子の応援 もしかしたらこれが息子の最後の公式戦 になるかもしれない…
壁ビリビリピー
壁ブリビリ
壁ブリブリ
壁ブー
僕は王子だよ。 王子の仕事って知ってるかい? それは姫を助けることさ。 「助けてええ馬太郎王子いいい」 おっと姫が呼んでいるぜ。ほいきた合点承知之介! そういうわけだ。じゃあまた後で 行く手は松坂町~ううううう SFモノによくある設定で 朝起きたら…
♪ 飲めといわれって素直に飲んだあ 浪花節だよ胃カメラの内視鏡検査が 終わったのが2時頃かな 苦しくて不快ではあったけど 意外にはやくおわってくれて助かったよ。 今日はようやくシャントの手術 「最後に左手をよく洗ってあげてください」 ナースが気を利…
民主主義の異常事態(3) たんに、個人的にムシが好かないのは 優等生ヅラして先生に言いつける あの手の連中を思い出すからだ。 「ああいけないんだ馬太郎君それ差別用語だよ」 「がんばれっていっちゃいけないんだぞ」 みたいな感じ。 「先生、馬太郎君は …
わたしがネカマだった頃 おセイさんは常連客だった。 しろこもりんちゃんもルイちゃんも通ってくれてたから 別にヒミツでもないの。 店の名は「あんぽんたん学園」といって ヤフー通りの二丁目のはずれにあったわ。 ただ、おセイさんはずっとわたしが女だと…
ただいまあ(疲) 終わったよ、確定申告。 一回で終わった。 二月中には決着つけるといったように どうだ。偉いだろう。 しかし今日で二月も終わり焦ったぜ(汗) それもこれもかおりくんとりんちゃんの 脅迫のおかげだ。 うり坊がお化粧して きれいな服着て…
今は無き新宿コマ劇場の裏のもうちょっと先 大人の社交場「風林会館」に入り浸っていた 二十代の頃 超抗争ビルの上の空 届かない夢を見てる 4階のビリヤード場に行こうと エレベーターに乗るとやくざで寿司詰めだ。 やりばのない気持ちの壁を破りたい 気をつ…
キラー・ジョーと呼ばれていた頃 (2) BGMを聴きながらお楽しみきださい。 http://www.youtube.com/watch?v=MWZZrPWiBoU 「あらジョー今日は遅いわね」 「ちょっとしたトラブルに巻き込まれた」 「何にするの?」 「ジンのミルクセーキ」 「食事は?もうお…
忘れていたことを思い出した。 そうだ、俺は昔 キラー・ジョーと呼ばれていたんだ。 その頃の俺のBGMがこれだ。 http://www.youtube.com/watch?v=u23Etcb-L9M&feature=share あれは1959年、日差しの眩しいマンハッタンの夏 上下白の麻のスーツにパナマ帽で …
ウマテルとルイーテルは森の奥へ奥へと 入っていきました。 「ねえウマテル本当にお菓子の家はあるの?」 「もちろんだよ。今朝の朝刊で確認したんだ」 「でもこんなに森の奥まで入って 帰れなくなるんじゃない。心配だわ」 「大丈夫だよ、ほら後ろを振り返…