馬鹿がロケットに乗って
旅路の果てから(8)
昨晩の『下町ロケット』の感想として
あれは日本的なドラマだったなあと思いました。
物語の芯に「赦す」という
日本的なスピリットが注がれていたからだ。
はじめどんな嫌な奴でも
次第に主人公の情熱と誠実に共鳴する流れに
日本人の琴線にを揺らすんでしょうねえ
原作者はあの三倍返しの『半沢直樹』の池井戸潤
っていうのは興味深いところです。
ま、なかには許せん輩もいますけどね(^∇^)
人間にはそれぞれ事情や立場
そして性根(しょうこん)がある。
根性云々はどうにもならない場合もありますが
事情や立場を汲むことは洞察力である程度は理解できるものです。
だからといってむやみに折れるとかいう話じゃありませんよ。
人それぞれ背負ってるもの価値観が違うということを
察することで冷静な対応もできるということです。
ま、それを解した上で自己主張を通すのも難しいですけどね。
主人公の毅然とした言動に胸がすくのも
そんなところからでしょう。
失われてしまった企業倫理と
社会人としての矜持、意気地など
そういうものをみんな懐かしく渇望しているのだ。
そういうのをドラマ小説の絵空ごとは嗤えない。
現実の話として東芝の粉飾決算では
その後始末に何千人というリストラだそうです。
一部のトップのせいで
老舗の大家電メーカーが今後の存続さえ危うい。
数字が勝負の理念なき経済市場主義
正直者は馬鹿をみるといい
悪い奴ほど世にのさばるというけれど
世の中そうそう甘くないんだよね。
馬鹿でもいいんでないかい。
できれば中途半端な馬鹿ではなく
一流の馬鹿を目指したいものです。
奇しくも、小原國芳の伝記を読んでいたら
彼が卒業生におくっていた言葉にシンクロ
「バカになれ、バカになれ、大馬鹿に」
と発破をかけていたとか。
ホントにホントの大馬鹿(的人材)が欲しいと。
そういう人間を育てたいのだと本気で考えていたようです。
だからJJ.大丈夫だから
大馬鹿、一流の馬鹿を目指そう。
中途半端ほど始末の悪いものはない。