あかんたれブルース

継続はチカラかな

戦前から現在なでの迷走教育

旅路の果てから(9)

学校教育なんて意味ないじゃん
なんて暴論めいたことを記しましたが
そもそも学校教育で何を教え学ばせるかつー話であります。

小原國芳も元文部省次官沢柳政太郎もそれを訴え
成城学園前を玉川学園をつくった。
それに賛同する人は国内外にたくさんいましたが
それに反発する人もそれ以上にたくさんいたわけです。
それは教師と保護者でした。
これっていつの時代もまったく同じだ。
こういった連中が教育改革の抵抗勢力の本丸なのだ。

頑迷、保守的な思い込み、そして既得権益さえ臭う。

そもそも明治政府ができて
それまでの寺子屋や藩校など私学教育から
近代的な官制教育を施行するにあたって
どう何を
教えていいのかわからなかったといいます。
国語ってどう何を教えていいものやら・・・とかね。

優秀な人材とは何か?

そもそも現在まで続く
試験による順位選抜制は明治期の混乱期における
薩長藩閥政治の弊害の打開策としてあったものです。
公平に平等に有能な人材をふるいにかける
合理的な選別方法として。
それを否定はしないのですが
どんなものにも長短があるものです。
陸軍大学の二期三期までは面白い人材を輩出しましたが
それ以降は次第に劣化していく。
卒業時の順位で後の大将中将、大佐どまりが決まってしまう。
士官学校から陸大というエリートコースには
熾烈な順番競争がありました。
そういうガリガリ点取り虫ではダメなんだ
というのが沢柳や小原の提唱と行動だったのだ。

そういう選抜制ではたして優秀な人材が生まれるのか?
明治後期ぐらいでしたか実験的に
そういう生徒だけの選抜学級を作ったそうですが
結果はさっぱりだったそうです。
現在でもとある専門学校の会長さんに聞いたところ
入学時と卒業時の成績は比例しないといっていた。

優等生が必ずしも優等生には育たないのだ。
競争原理を否定はしないけれど
その意味でも選抜制が必ずしも合理的効率的ではない。

ここに二八の論理があり、
ハーバードのノアのハコブネ方式がある。
また、個人差適材適所もあるものです。

中国が(清)の没落には長きにわたる科挙制度の弊害が
李氏朝鮮の瓦解には文系(文官)偏重の弊害があった。
それを日本は他人事みたいに嗤えない。

日本の教育改革の一翼を担った小原國芳でしたが
そういった風潮や抵抗勢力によって
成城事件、興亜工業大学事件によって
表舞台から姿を消さざる負えなくなります。
これって、日本の学校教育を迷走させる
大きな損失だったのではないか。