あかんたれブルース

継続はチカラかな

ナイスガイ五代友厚への鎮魂15分也



本日の『あさが来た』
(北海道)開拓使官有物払下げ事件に関する
五代友厚への汚名
おおよそ130年の歳月を経て
全国の茶の間に理解してもらえたかと
感極まったものでした。

要は不良債権だったわけですよね。
1400万かけようが。
では、その責任者だった黒田清高の無能かといえば
もともと利益追求を第一とする
開拓事業ではなかったわけです。
公益事業であり、対ロシアという政策もあった。
だからこの事業をどうしても潰したくなかった
黒田は儲け第一の事業家には託したくなかったのだ。
そこで五代が登場したというお話。
また、ここに反薩摩、反黒田という政争もあり
大隈重信-三菱・岩崎弥太郎のラインも浮かび上がる。

その要因として
薩摩、明治政府の重鎮であった大久保利通
紀尾井坂の変で暗殺されてしまったことも
無縁ではない。
西郷、大久保亡きあとのポストリーダーが
この黒田だった。純粋で清廉な漢だったのだ。
がゆえに、維新後の新政府の現実に心を痛めた。
黒田の酒乱癖
酔って妻を惨殺したという報道もそれでした。
この醜聞にも新聞メディアは大活躍している。
はてさてそのソースはどこからか・・・

そういった、こういったものが
イメージの傷となり影となって
近現代のなかに、実は、とか
深層はとか、裏読みとかが蔓延って奇をてらす。
黒田も五代も薩摩シンジケートの一員で
130年もダーティーでグレーな濡れ衣を
着せられてきたわけです。
トンデモ本では五代はフリーメーソン
もしくはその手先または操られていたと
されている。
そういう与太が罷り通ってしまうのも
私達が近現代史に疎いからだ。
同時にメディアの責任も大きい。

疑う知性?
うすっぺらくてクシャミと一緒に屁がでちゃう。
そんな単純なものじゃないよ。

イメージといえば
映画化された五味川純平の『戦争と人間』での
財閥は「伍代」と命名されていましたねえ
五代は財閥を作らなかった
作れなかったかったのではなく
作らなかったったのだ。

なんにせよ、そのメディアのひとつである
テレビのドラマが全国の茶の間をたったの15分で
130年分の誹謗中傷疑惑揶揄を払拭させてしまう
その威力は絶大だとため息が出てしまいます。

オジャンになったこの払い下げ事件
その後、どうなったかを確認してみれば
黒田の、五代の、志の在り処が理解できると思います。

ナイスガイ五代友厚の死期が迫っている。
死因は糖尿病(汗)
享年49歳だってさ。若いねえ(涙)
そんな思いもあって今朝の朝ドラは熱くなった。

あれは何年前だったでしょうか
大阪は北浜に宿をとったとき
ふらふらあと中ノ島のほうに散策したとき
とあるビルの前に銅像があった。
そこは大阪証券取引所でした。
五代友厚銅像だったのだ。
「大阪の恩人」
大阪の人たちはこの薩摩人のことを
忘れないでいてくれたんだなあと
感慨深いものがあった。

明治には日本には
こういう漢を輩出する
土壌、環境があったようです。