あかんたれブルース

継続はチカラかな

天正時代からずっとフッバン!

まだらボケの母の記憶をたどって
母方の先祖(薩摩藩士池内家)の墓地探しだったのですが
その地名を母は「フッバン」
その地元の先輩は「ミョウバン」(後日確認したフイバンでした)といった。

県道からその地区に入るとすぐに
正面に妙見神社というのがある。
そこを迂回してクネクネとした山間の集落をめぐるのですが

帰宅して、「ミョウバン」とは
妙番と記し、この妙見神社を守るという意味ではないかと
ひとり納得していたのです。

が、
これもタマタマ、地元の郷土史家で作家の新屋敷幸男氏の
『南海の舟人』というのを読んでいて
アッと驚く馬太郎
この本のなかに古地図の口絵がありまして
そこにしっかり「フッバン」とあるではないか!

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この古地図は天正年間のものだという。
(無論それをトレースして版下口絵にしたもの)
信長秀吉家康の安土桃山時代ですよ。
そこに記されている「神園川」とか「花渡川」「尻無川」は
現存していて今でもそう呼ばれている。
また「松之尾」「折口」「小湊」「岩戸」という
地元ネイティブだったら知る地名もある。
天正時代からつづいていたんですねえ
この片平山とは現在の水源地公園地のある山です。
川をはさんでいる国見岳は今の市民会館のあるところで
それ以前は小高い丘というか小山でした。

ま、なんにしろ母の記憶は正しかったわけです。
この婆侮りがたし

明日、アリと飲むので
このこと教えないといけない。