あかんたれブルース

継続はチカラかな

無理を承知のがまん劇


だからさ、アメリカ(映画)のヒューマニズム
日本(映画)の違いを痛感するわけだ。
それは任侠映画に顕著です。

馬「兄弟頼みがある」
鹿「なんだい兄弟」
馬「吃安とは喧嘩しないで欲しいんだ」
鹿「・・・」
馬「頼む」
鹿「わかったよ兄弟」

と、安請け合いして大変な事態になる。
吃安一家は何をやっても歯向かわない鹿十組に
これ幸いと挑発と横暴をエスカレートさせていく。
それによって多数の死傷者被害者が出るに至る。
双方が後戻りできない沸点を迎えて
そんな無謀な約束を押し付けた馬次郎は責任をとって
一人で殴り込み惨殺される。
そこでようやく鹿十郎は修羅と化し
「死んで貰います」と皆殺し大量殺戮となる。
悲劇なのだ。

義理   〉人情
ではあるのですが、やくざの世界であって
縄張りは体を張って死守せねばならない
安全保障自主防衛死活問題の
はずなのに
なぜこの馬鹿兄弟はそんな無謀な非常識な
約束を押し付けまたそれを安請け合いしたのか。
その結果関係者無関係な民間人すべてに迷惑被害を与える始末。
吃安一家が悪いのではなく
そこまで追い込んだ
この馬鹿兄弟の約束が原因だ。

これがハリウッド版だったら

バート「ブラザー頼みがある」
カール「なんだいブラザー」
バート「吃安とは喧嘩しないで欲しいんだ」
カール「それはできない相談だな」
バート「そうか、OKわかったよ」
カール「ウチに寄ってチェリーパイを食べていけよ」

で、済む話なのだ。
フロンティアスピリットは自主独立の精神であり
何者にも依存しない尊厳をもつ。
それをワガママ自分勝手ととるのも自由。

対して日本人はストイックで
我慢でなんとか解決させようとする。
石の上にも三年。
そこに目をつけられるわけですが・・・

結果的に吃安を暴走させ全面戦争に発展させた
のは誰のせいでしょう。