あかんたれブルース

継続はチカラかな

はじめて泣いた映画


ねえ、はじめて泣いた映画は?

うすぼんやりと考えていた。
古い記憶を手繰りよせるように・・・
心当たりがあるのですが題名がわからない。
小学校低学年だったと思う。
初めて体験で困惑して往生したものです。
腕抓ったり目線をそらし他のこと考えたり
それはわたしだけじゃなかったと思う。
暗闇がやさしくつつみかくしてくれた。

白黒だったと思う。貧乏な話だった。
貧乏なくせに
なんやかんやでたくさんの孤児を育てるヒロイン。
劇中に登場するパンが印象的だった。
コッペパンでも食パンでもなく
ホットケーキのようなお好み焼きのような薄っぺらパン。
子供がトラックに跳ねられて死にました。
可愛そうだった。
ラストは卒業式かなにかにの式典で
ヒロインが正装して登場したのが印象的だった。
不思議な服装だったから
かなり記憶に焼き付いていたんでしょうねえ
成長してから、あれはチョゴリだったんじゃないかと。
でも日本語だったからなあ
タイトルはタイトルは確か・・愛は国境を越えてか越えたか
だったような
数年前ネットで検索しましたが消息不明。
そのことはこのブログでも記事にしたと思う。

そういえば似たような話をテレビで紹介してたよなあ
でもそのときはもうあきらめていました。
多分あれが元ネタだったんだろうぐらいで

いましがた、不意に気になって
その薄ら覚えのタイトルで検索したらヒットした。

『愛は国境を越えて』
1965年の韓国映画だった。
配給は東映で吹き替え版で公開されていたんだ。
年代的にもあう。わたしが小学2年か3年生の頃。
ヒロインのモデルは
永松(望月)和という日本人女性。
自身も戦争孤児だった彼女の手記
『この子らを見捨てられない』が原作となっている。
日韓の孤児130余人を養育し
38度線のマリアと呼ばれた実在の人物。
1964年にソウル名誉市民賞を授与され
1967年には第一回光復賞を
四年後には韓国名誉勲章・冬柏賞を授与。
日本でも1976年に吉川英治文化賞を受賞している。

舞台は日本でなく朝鮮戦争の頃の韓国だったわけだ。
ずーっと終戦直後の東京だと思っていた。

なんとも
はじめて泣いた映画が韓国映画だったとは
あれから半世紀たって
海峡はさらに深く遠のいてしまっている。

愛は国境を越えられのだろうか
ラストのチョゴリ姿は和の気性から
絶対に有り得ない演出だろうけれども
それを差し引いても
フィルムが現存するのであれば
日韓双方で再上映してほしいものです。

愛は国境を越えて