たとえ話として
『ドラえもん』のなかで
スネ夫とジャイアンがのび太に対して
「のび太のくせに」という発言は差別にあたるか?
のび太はのび太であるわけで
それを否定すれば
のび太は自分自身を否定することになります。
けれどもスネ夫とジャイアンは確信犯的に
のび太をイジメのターゲットにしていると
指摘する人も出てくるでしょう。
そうなると勢いづいてどこかの市民団体が抗議して
テレビ朝日はアニメ放送を自粛するかもしれない。
「ある事項が人権問題かどうかについて、第三者が一方的に決めつけることは非常に危険ではないか。言われた側の感情を主軸において判断するべきだ」
というのはそういうことで
特に政治家一個人の「持論」と決めつけられるものでもない。
問題は
デタラメでいい加減なのび太の素行のある
のでしょうけど、それ以上に問題指されるのが
後に付く「くせに」ですね。
お前ごときがというニュアンスが溢れていることは否めない。
しかし、のび太の普段の行い生活習慣、人となりから
自ら「のび太」のキャラを確立させているわけですからね。
ここはご両親や担任の我成先生の教育的指導に
期待するしかありませんし
なんといっても本人次第というところが第一。
それなのにドラえもんという依存する存在があるために
のび太はのび太のままで40年以上進歩がありません。
そんなのび太に対して
「のび太のくせに」は差別用語にあたるのか
民進とか共産党から質問がでやしないかと
ヒヤヒヤしています。
どっちに転んでも
恥ずかしい
頭痛い