あかんたれブルース

継続はチカラかな

綺麗な器に閉じ込めて


というわけで
『男の顔は履歴書』を鑑賞しました。

結論からいうと
映画的には大したことはなかった。
点数をつければ55点が私的には妥当なところ。

この時代(1966年・昭和41年)に
こういった問題作が「松竹」で制作され
日本全国で公開されたということに思いを馳せる。

こういう問題というのは
在日朝鮮人問題であり
作品中にはイヤというほど連呼される「三国人」の存在
その非道の暴力を描いている。
現在なら、いや昭和50年以降なら一発でアウト
発禁即公開中止でしょうね。

死語となっていた「(第)三国人」が差別用語として
甦ったのは石原元都知事の発言(2000年)から。
もともとこの言葉は差別用語からではなく
社会問題として国会やマスコミで取り上げられいた。
この映画の時代設定
昭和23年に流行語大賞があったら
絶対グランプリ間違いなし。
当然、この作品でもそれが大きくクローズアップされている。

ことほど左様に一部の在日朝鮮人台湾人の横暴は
酷かったわけです。
それを誇張だ捏造だ偏見差別だと強弁されるが
もともと第三国人には差別的意味合いはなく
それを差別意識に認知させたのは
終戦で解放された旧日本の植民地にあった)
台湾人朝鮮人の在日外国人(非日本人)が
治外法権を盾に組織的に
犯罪行為を繰り返してことからだった。

これは事実だからゆるがしようようがない
のだけど、そういう事実さえデマにしてしまうのが
現代の言論の自由であり
正しい歴史認識とかヘイトだというから頭が痛い。

では、
強盗殺人リンチレイプ不法占拠などなどの
三国人の悪行の動機は何か?

それまで恨みというのもあるだろうし
戦勝国民(?)としての特権を大いにいかして
火事場泥棒を働いたともいえますが

この『男の顔は履歴書』で面白い台詞を
三国人の首領が宣っている。
「  日本は戦争に負けて
 法律も道徳も人間の力も弱りきっている。
 今だ俺達がひっかきまわのは
 日本人をズタズタにしてやる。
 今まで奴らが俺達にしてきたのと同じようニダ 」

笑ってしまいそうでしたが
正直なところ笑えない。

所詮、映画フィクションじゃないか?

日本はいまだ戦後を引きずっている。
そうせねばならない宿命のように。
まるで臭いものにフタをするかのように
それを発酵させて。

映画は共生共存というカタチで
エンディングをむかえる。
まとめきれなかった感じるは否めない。

主演の安藤昇はまあまあ好演していました。
眉毛を剃った内田良平は漫画のように恐かった。
意外だったのは三国人団体の配下に
菅原文太藤岡弘、が出演していたこと。

文太はその狂犬ぶりから
このあと東映に移籍して仁義なき戦いでブレイクする。
その片鱗をうかがわせるには十分な熱演でした。

しかし、1966年といえば
この年、松竹では『男はつらいよ』が公開されている。
なんか皮肉というか感慨深いわけです。
死語の「フーテン」も差別用語になるんだろうか。

1962年が『キューポラのある街
1973年に『仁義なき戦い』第一作公開
同年『山口組三代目』
1975年に『京阪神殺しの軍団』

仁義なき戦い』では三国人襲撃場面は
すべてカットされていた。
1972年から大きく変わってしまったのだ。


差別を解消したいのならば
通名報道特別永住者制度を廃止すること
だと、強く思うのでした。