あかんたれブルース

継続はチカラかな

1972年のコンニチは♪


「『男の顔は履歴書』と比べれば
仁義なき戦い』での在日扱いは皆無」
という批判が一部にあります。
その弁護として
いや、第一作品でも三国人密輸品倉庫襲撃も描かれ
(笠原の脚本にもあり)予告編でも放映されているので
実際に撮影も行われていた。
ということは制作時から公開にあたっての期間に
なんらかの圧力もしくは自主規制があったのではないか。
とすれば、公開の1973年というのがくせものだ。
なお、同年公開の『山口組三代目』ではかなり深く
描いていましたけどね。

アニメンタリー『決断』の放映が
1971年4月3日~9月25日
宇宙戦艦ヤマト』が
1974年10月6日?-?1975年3月30日

すくなくとも『決断』に
視聴者から批判抗議があったとは聞かないが
3年後の『ヤマト』には

 日本の右傾化を象徴するアニメとして
 しばしば論じられ、批判されてきた。
 特に、80年代前半の終戦記念日日本テレビ
 『宇宙戦艦ヤマト』の映画版を放送した時には、
 かなりの批判を浴びた。

ポリコレの突起部分である言葉刈が横行しだしたのが
1988年(昭和63年)からであることから
それ以前から燻っていたことになる。

なお、『仁義なき戦い』と同じ年に公開の
山口組三代目』では在日朝鮮人をかなり深く描いていた。

1966年から1973年の間に
いや『決断』の件を参考にすれば
1971年から1972年と絞られてくる。
(『仁義』の公開は73年の正月)

限定すれば1972年が怪しい。
この年に何が起きたのか・・・?

 浅間山荘事件(連合赤軍の敗北)
 西山事件毎日新聞の凋落)
 沖縄返還
 日中国交正常化
 日航ハイジャック事件(左翼運動の敗北)

大ざっぱにいえば日本の左翼運動の挫折ともいえ
そのエネルギーは地下に流出したとも考えられる。
地下とは国民民衆「市民」のなかに身を潜めた
と分析できないか。

内閣府政府広報室が国歌に対する世論調査
行ったのが1974年で結果は肯定的な意見が圧倒だったが
それ以前から国歌国旗に対する批判は一部であったから
それで世論調査が行われたわけだ。
それはその後、大きく拡大していった。

左翼革命テロ活動は市民運動に身を潜め
クレームの時代に突入していく。