私が宮城谷昌光のファンであることは以前お伝えしました。
彼のお勧め本をあげろと恐喝されれば『孟嘗君』『奇貨居くべし』ですが、これは次回に。
数ある彼の名作・傑作のなかで『青雲はるかに』を敢えてピックアップさせてください。
この作品にはふたつのテーマがあります。
第一は主人公・范雎(はんしょ)の復讐にあります。
青雲を夢見た范雎は魏の宰相・魏斉によって冤罪をきせられ九死に一生を得るのですが、
復讐鬼と化した范雎は秦王・昭襄王に認められ、宰相となり、魏を魏斉を滅ぼします。
人を呪えば穴ふたつ。丑の刻参りをするならばそれなりの覚悟がいるものです。
「復讐なんて無意味だ。君はもっと有意義な人生のためにそのエネルギーを、、、。」
よくある、安手の放送作家のお決まりの決めゼリフですね。
バラエティー番組でとんでもない芸を披露した素人や下着泥棒によく使われる
「このエネルギーを他の有意義な、、、。」という心ないコメントと同じです。
ところがさ、儒教では「復讐」自体はさほど無意味とされません。どころか、
徳川幕府では大いに推奨されておりました。「仇討ち」がそれ。
赤穂浪士なんてその代表的なもの。汝右の頬をビンタされたら左の頬もだぜ。なんて
糞っ喰らえで、目には目をという言葉だってある。(言った人間はマゾですね)
なんで、「復讐」はお茶の間でかくも「無意味な忌み嫌われる所業」となったのでしょうか?
イジメや家庭内暴力などなど、その根元はやってもやり返さないという加害者の思い上がりを
感じてしまうのは私が馬鹿なだけ?
先日、「もののけ姫」を観て、なんか今の人達は「恐れ」というものを知らないなあ。と溜め息。
それが、科学のせいか、ITか数字か業績か四半期決算かは知りませんが、変な常識です。
どうも仏教とかに関係がありそうですが、それも本当はかなり怪しい。
そこまでして俺は極楽天国なんて行きたかないもんねえ。地獄のスーパー銭湯で結構。
咀嚼できてないのに達観するなよ。「やったらやり返す」を社是にすれば、永遠でなくても
五回ぐらいで相手は構えるから。「仁義なき戦い・広島死闘編」(参照)
また、勝海舟は小村寿太郎に言いました。「いい子になろうとすれば、道を誤る」
とりあえず、若気の至りでも、罪びとでも、極悪人でもいいからそこから始めて
心を入れ替えて達観するのが「世の手順」というものではないでしょうか。
最初から修行も無しに善人だなんて「むしはよすぎる」てなもんや三度笠。
そして、この本のもうひとつのテーマは「愛」しかも「純愛」。
愛する女、原声(げんせい)のために范雎は男の甲斐性を貫きます。ラストは最高だよ。
宮城谷昌光!タダモノではない。さすが私の見込んだ作家だ。(范雎と甲斐性が洒落で、、、。)
「早乙女愛、僕は君のためなら死ねる」(「愛と誠」より。原作・梶原一騎とほほほ、ほ)