『銀河英雄伝説』何巻目かに天才の誕生する環境を項目立てて紹介する記述がありました。
そのひとつに、家族や親族のなかに天才もしくは精神障害者がいる。
という項目に驚いた記憶があります。
南方熊楠の最愛の息子熊弥は弱年性痴呆症を患い発狂して死去してしまいます。
熊楠の悲しみは深く大きなものです。
それが熊楠の中にあった天才という狂気の血のせいかどうかは私にはわかりません。
熊楠が日本で認められるのには大層な時間がかかったようです。
英国などでは早くからその才能は認められたいたようですが、
彼の粘菌の研究などは国家存亡の危機とか殖産事業には関係なかったからでしょうか。
結局、彼を世に知らしめるのはロンドン時代に知り合った孫文との交友や
東大時代の友人たちの力によるところが多いようです。
熊楠を真性の天才としましたが、
同時に分裂症などの精神障害者とされても不思議ではなかったはずです。
苛まれる幻覚に堪らず、途中で入院でもすれば一発で精神病患者に仕立てられたはずです。
南方熊楠の場合はまさに真性であり紙一重だったようです。
天才や英雄とは「異形」であるともされています。
私たちが好む美しい顔立ちとは各顔のパーツを平均化させるとできあがると言われています。
美は平均化に集約されているのでしょうか?
その意味で天才とか英雄が異形であれば「美しく」ない者たちなのでしょうか?
上の写真は映画『仁義なき戦い』(第一作)で梅宮辰夫が演じた若杉のモデルで
「悪魔のキューピー」と恐れられて大西政寛という伝説のやくざです。
この容姿から凶暴とか殺人鬼というイメージを想像できる人がいるでしょうか。
彼は絵画に天才的な才能があったと言われています。
もし、よき理解者が少年時代の彼を発見して、その才能を伸ばすことができたならば、
彼はもうひとつの伝説をつくったかもしれません。
織田信長はその時代にあって「天才」だったのだと思います。
天才には分裂症の傾向が強いと聞きます。やくざも分裂症の人間が多いそうです。
異形とは容姿だけをいうのではないということでしょうか。
熊楠や秋山真之もその眼光は異形といえば異形のような気もします。