あかんたれブルース

継続はチカラかな

障害者のボーダーライン

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 1972年頃のアメリカ映画に『ジョニーは戦場に行った』という作品があります。
 これは第一次世界大戦で傷ついた若者の物語で、彼の失った機能は両手両足と
 コミュニケーション能力すべてです。
 したがって彼以外の誰も、彼に意識があることを理解するものは存在しません。
 ようやく物語りの最後にモールス信号からジョニーが訴えが明らかになる。
 それは「どうか殺してくれ」という嘆願でした。
 けれどもジョニーはもっと深い闇の奧に封印されるという救いようのない反戦映画です。
 戦争は多くの人間を傷つけます。

 また、それとは別に、
 日露戦争で活躍した軍人たちの多くが障害を持っていました。

 乃木希典は母親の折檻で左目を失明してしまい、また、戦闘で左足を負傷して不自由でした。
 陸軍(満州軍)総司令官大山巌の幼い頃、竹槍で遊んだ戦ゴッコで片目を失明させています。
 第二軍司令官・奧保鞏大将は耳が聞こえません。
 ほとんどの陸軍兵士が脚気患者でしたから、これも障害かもしれません。

 真之の上司にあたる軍令部長・伊東祐亨海軍大将は10才になっても
 6以上の数になるとフリーズしてしまう少年でした。
 指折り数えていって6以上をまた立てるとか、左手を使うとか、考えつかなかったんですね。

 私たちの世代では小中学校に「特殊学級」というものがあり、
 知的障害まで至らない生徒が、私たちとは別なカリキュラムで教育を受けていました。
 伊東祐亨が私たちと同世代だったら確実に編入させられていたはずです。
 事実、我々の頃も定員が不足して、私のその候補になりましたし、友人の新ちゃんは
 先生が自宅まで説得にきたそうです。親がなんとか食い止めたようですが。
 伊東祐亨は海軍大臣山本権兵衛連合艦隊司令長官東郷平八郎に任命させた人です。
 
 西郷隆盛実弟・従道は海軍大臣などを歴任した明治政府元老のひとりです。
 彼は「大馬鹿者」と言われていました。特技は裸踊りです。
 従道は海軍の父・山本権兵衛を全面的に支えた傑人です。

 先天的な障害としては、このブログで紹介しようとする杉山茂丸色盲です。
 また、自ら左手薬指を切り落として暴力で事を成すことを戒めました。

 事故などの後天的な障害や先天的な障害も場合と内容から
 プラスに働くこともあるようです。

 現代において、まったくの健常者が自分の身体を傷つけることを求める場合もあるようです。
 手術によって、その手や足を切断する人たち。健常者がみずから不虞者になる行為。
 私には理解できないし、理解しようとも思わない。
 こうなると何が正常で何が異常なのか分からなくなります。