司馬遼太郎と池波正太郎は同時代で活躍した人気作家です。
司馬さんは歴史小説に新しいスタイルを生みだし、
池波さんは時代小説に様式美の真髄を堪能させてくれた作家でした。
どちらの作家も私は大好きです。
酒の座談で両作家の話題でよく聞く言葉。
「司馬さんは女を描くのが下手。その点池波さんは饒舌である」
違う人から同じ台詞を何度となく聞きました。
なんだそれ?「新潮45」にでも書いてあったか?
司馬さんの短編に『雨おんな』というのがあります。
非常に艶のある作品です。
長編では『風神の門』もいいですね。
有名なところでは『竜馬がゆく』の女性陣も奮闘しています。
好みによっては『大阪侍』というのも一興ですな。
司馬さんの描く女性が私の好みというだけでしょう。
また、私に女性を見る目が備わっていないと指摘されれば、
「放っておいてくれ、これで不自由はしてないから」と鼻を鳴らすでしょう。
彼の傑作に『尻啖え孫市』という痛快娯楽作品がござるよ。
この主人公の雑賀孫市は初め用兵として信長方で活躍しますが、
後に信長の天敵本願寺に寝返って石山合戦を戦います。
歴史的には鉄砲集団雑賀のリーダーとして利害(一向宗だった)があったのでしょう。
が、司馬さんはそこに一人の女性を登場させます。
孫市は彼女に惚れてしまって、一転!信長に挑戦する。
彼女が一向宗の指導者の娘だったからです。
そんなに美人? いい女だったのか?
結果的にはそうなのでしょうが、最初は顔も知らない。
えっ? そう、孫市は偶然見た彼女の脹ら脛に惚れてしまいます。
孫市は脹ら脛フェチでした。一目惚れ。
人間っていうのは恋に堕ちるときの重要な要素として「容姿」がありますが、
必ずしもそうとばかりではない。好みには個人差があります。
この間のかんさんの記事には「臭いフェチ」の同僚の話が紹介されていました(爆笑)。
ダイエットが叫ばれる中でデブ専門の人も多いです。
性悪女やダメンズを好む方々もおります。
池波さんの短編に全身からフェロモンを出す不思議な特殊体質の女性の話もありましたが、
私にはこの脹ら脛で一目惚れして生死を賭ける雑賀孫市の話のほうが信憑性がある。
人間ってちょっとしたことで恋に堕ちたりするものです。
決して容姿だけではない。
司馬遼太郎が女を描くのが下手っていうのは真っ赤な嘘です。
もし、どこかで、そんな台詞を聞いたら、
ああ、これが馬太郎のいってた受け売りチョイ悪るオヤジかと思ってね。
頭がよ。