情動の知性(2)感情制御(其の二)
「怒り」についてでしたね。
喜怒哀楽で「怒」が一番の問題なようです。
それを下手に我慢し続けて「いい人」とか「人格者」なんて目指すととんでもない罠に陥る。
かといって野放しすればいいというのではなく、
上手にガス抜きすることが大事としか言えません。
こだわりをなくす。というのも確かに大事ですが、かといって
こだわりのない生き方って想像できる?
人間こだわりがなくなったらお仕舞いじゃないか。
マグロは赤身や。いやトロ、トロ。違うねマグロは中落ち。
何かのCMではありませんが、こんなこだわりなら大したことはありませんけど。
怒りを表さなければいけない事や時もあるでしょう。
こだわらなければいけない事や時もある。
たぶん、言ってる次元の問題なのでしょう。
それを一発で解決させようとするから矛盾が生じる。
焼き肉はやっぱりカルビだ。いやタン塩、タンタン。違うねホルモン。となれば、
「野菜も喰わんかい!」ぐらいの頓知や機知が必要です。
それが視野を広く考えるということではないでしょうか。
実際に現実社会のなかで「こだわり」なく生きようとして、
見事に失敗していく人たちをたくさん見てきました。
こういった啓蒙書の類は特に悪い事を唱えているわけではないのですが、
言葉足らずであったり、読む人の解釈であったりと
色々な誤解も多くなるかもしれません。
それ以上に、私たちが性急に答えを導き出そうとする姿勢に問題があるのでしょうか。
また意外に恐いのが「喜怒哀楽」の「喜」であり、
これだって考え考えやらないと「嫉妬」になったりするようです。
以前、ある先輩から仕事上での雑談において、
家族とくに子供の話題は謹むようにレクチャーされたことがあります。
それで傷つく相手、嫉妬する相手がいると言われました。
「哀」にしても度を越せば精神のバランス崩すでしょうし、
「楽」は堕落のもとかもしれない。
かといって、それをストイックに押さえつけても解決にはなりません。
上手な表現を心掛けることが大切なんでしょうね。
こだわりをなくして私たち何が残るっていうんだ?
悟り? ご冗談を。