あかんたれブルース

継続はチカラかな

「性」の本質と乱用

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20世紀のヨーロッパで「性」に対して正面から取り組んだのは
フロイトとその学派だけではなかった。

1964年に翻訳された『性の衝動』の冒頭において
「性の理論を統一しようと試みた唯一の哲学者こそ、この著者である
 ジョージ・グルジェフである」と
訳者・コリン・ウィルソンは言い切っています。

ここでわたしたちの性に対する考えを
「生殖」や「快感」だけという観念から解放させてみましょう。

たとえば、それを説明するのに「愛」という言葉を使いもしますが、
なかなか曖昧で抽象的なもので、子供達に教える大人でさえも半信半疑なものです。

グルジェフは人間には7つのセンターによって
機能を管理していると解きます。

「本能」「知性」「感情」「運動」「性」という5つの基本部分に、
「高等な感情」、「高等な思考」の2つがあるのだと。
(通常は下部の5つだけで、高等な2つの機能は開発しないと眠ったまま。
 わたしたちの脳が一部しか使われていないのと同じですかね)

これらはそれぞれが独自のエネルギーで活動しています。
注意しなければいけないのは、この5つのバランスであり
この性のセンターが禁欲して
他のセンターにそのエネルギーが集中した場合
非常に有害なものになるといいます。

これを「性の乱用」という。
これはセックスの不摂生とか性倒錯だけをいうのではありません。

たとえば、
思考センターが突出して暴走すれば
攻撃的に相手を批判して論争を繰り広げる衝動に駆られます。
観念ばかりが肥大してそのなかで満足してしまう。

感情センターが突出して暴走すれば
宗教的・倫理的な苛みや恐れと不安から革命や略奪、暴走に発展する。
嫉妬や残忍が強く出てしまう。

運動センターが突出して暴走すれば
記録更新に打ち込みすぎて、これもよくない。
(なんか若い頃の性の悩みの模範解答に「スポーツで」を思いだすと変な感じ)

本能や性もまた同じです。バランスというか個々がそれぞれ活動するがいい。

ただ、この機能には「肯定と否定」「快感と不快感」という二面性があるのですが、
性のセンターにはそれがない。
「心地よい感情や感覚」でなければ「完全なる無関心、無感情」。

つまり、わたしたちが「性」によって
不快感や嫌悪や後ろめたさ、後悔などなど感じるは
感情や思考などの否定的な面と結びついたからなどたといいます。

これが「心のないセックス」の弊害になってします。
また、本当の意味での性を理解していない場合の戸惑いなのかもしれませんね。

これを性の乱用という。
これって現在の日本人の(心の)問題点と重ねると納得してしまう。
すべては性の乱用というか誤った解釈に原因があったのか・・・、と。

で、性が本来独立してバランスよく稼働すれば
わたしたちの心と体にプラスの効用があるのだそうです。
これが「生殖」や「快感」だけではない、第三のものってことでしょうかね。

長くなってしまいました。本日はここまで




愛を訪ねて三千里(18)
男と女の渡るに渡れない大井川で背泳ぎ中!
ゲッ、まだ向こう岸につかない。どうしよう(汗)。
写真がグルジェフ
正式な名前はゲオルギー・イヴァーノヴィッッチ・グルジェフ(1877〜1949)
オカルティストもしくは霊的舞踏家としても有名。
といってもわたしは知りませんでしたが(汗)。