あかんたれブルース

継続はチカラかな

議論の行方

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メディアと民主主義(1)


先日、革新系のシンクタンクの方々と
いまのマスコミ・メディアの問題について
話す機会がありました。

そのなかで、
「ネットは世論に結びつかない」という発言があった。

えっ? ネットの可能性に、それでも期待そていたので
正直、軽いショックを受けたものです。

わたしは亀田兄弟の件もあって
手放しで賛同はできなませんでしたが、ここ最近色々あって
言葉を抑えてその後のその理由に耳を傾けました。

「匿名性という性質から、
 無責任な発言となり信用性に欠けてしまう」

というのです。

無責任かあ・・・。それは否定できない。


民主主義には言論の自由という権利があります。
しかし同時に民主主義には「義務」がある。
それを「責任」としてもいいでしょう。

わたしが時事ネタをあまりやらないのは
よくわからないことがあって自分の考えや発言に責任がもてないからです。
ときおり、自信のようなものは湧いてきます。
ついつい勢いと憤りで記事にするもありますが、そういうときでも
慎重にやらないと誤解や、あとで恥をかくことになるので緊張します。
それもあって、書き上げて結局アップしなかった。ってことも多い。
みなさんもこういう経験多いのではないでしょうか。

また、ネット上で繰り広げられる「議論」というものが
わたしは苦手です。
好き嫌いはないほうですがナタデココとナマコと議論は苦手。
相手にもよりますが、つ〜たんとかだったら楽しいですが
色々な人がいますから、ネットは、闇鍋のようです。

闇鍋というのは『巨人の星』の前半で判宙太が強要した
まっ暗闇でつつく鍋で、箸でとったものは絶対に食べないといけない
鉄則の鍋料理で、なかにはゴムパイプや地下足袋やパンツなんてある。
漫画の話ですが、実際にそのモデルとなった鍋があって
作者の梶原一騎が若かりし頃の楽しい思い出からなのでしょが、
わたしは梶原一騎じゃない。

おでんならちくわぶ、こんにゃく、昆布、ジャガイモがいいな。

ネットは闇鍋ですからね。
また、議論が論争になる。その論争にも勝ち負けが付随しますから質が悪い。
結局、最終的にはこちらが折れないと収拾がつかないので
折れると、謝罪を求められるし、踏んだり蹴ったりです。

よく、国会議員が「議論」「議論」といいます。(あと「欧米では」ともいいますが)
しかし、議論を尽くしても解決したためしがない。
そこで最終的には民主主義の殿下の宝刀「多数決」で決めます。
なんか、ウルトラマンが最初からスペシューム光線で出せばと、
子供心に思ったことが、大人になっても多々ある。
それをいったら身も蓋もないのでしょうが、忸怩たる想いに駆られる。

とにもかくにも自分の主張を死守する。
論争に負けるとまるで自己否定から死を意味するようです。
その死は個人差があって、額面通りのそれから閉鎖まで色々です。
そこまでしなくてもと譲歩して「お手」と手を差し伸べれば
その手にうんこをのせられるし、参った参った。

だからさ、そういうのは議論じゃないと思うのです。
でも、それも議論であるという。
だから、わたしは議論が好きじゃない。

それをやるにはそれなりの見識とかセンスとか資質が問われる。

そんなこと言ったら何も言えない!

と怒る人もいるけれど、
そこまでして言わなければいけないのかと、思います。
なにか理由でもあるのかと、別なことを考えてしまうのです。