あかんたれブルース

継続はチカラかな

十字架と諸刃のペン

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メディアと民主主義(2)


よく、マスコミ・メディアへの不信感が話題になっています。

ネットよって「情報」というものが溢れて
私たちはその取捨選択に戸惑います。
それでもテレビや新聞の影響は大きいのですが、
時折、クビを傾げることはありますよね。

最近では民主党代表選挙関連の報道が各ブログでも
大きく取り上げられました。

とは、別に
わたしは夕食時に6時からのニュースをみますが
昨年あたりから「?」と感じることが多い。
ニュース報道のバラエティー化は以前からでしたが
企業やタレントのイベントや話題がトピックスとして流れるし、
特集として扱われるケースが多い。
別にテレビ東京の経済番組ではないのに・・・

ははあ、タイアップ(CM広告と同種)なんだな・

不景気でテレビ局も大変だとは聞きます。
広告収入の激減が主な要因で、各テレビ局は社内企画イベントの
企業努力をやっているそうですが、
報道番組のなかにもタイアップをニュースとして流す。
はたしてこれを企業努力としていいものなのか・・・

マスコミをマスゴミという表現も浸透していますが、
こういった報道がそれぞれの事情やなんらかしらの意図で
公共の電波を通して流されることに危惧します。

ある意味の報道統制でもある。
これは政府云々の仕業・陰謀というよりも、
マスメディアの都合でしかない。

ペンは剣よりも強いといわれます。

けれども、そのペンは諸刃のペンなのだ。

どこぞでは日本の戦争責任を叫んでいる。
マスコミも終戦記念日近くなると日本の戦争層責任を問う企画が溢れます。
しかし、先の戦争で一番の責任はマスコミだったのではないか。
特に、朝日新聞は戦争責任をはたしていない。

朝日の村山社長の辞任は、戦争責任ではなく
反村山派(緒方竹虎残党)との派閥抗争が原因である。
また、自らの戦争責任を感じて退職した社員は数名しかいない。

そういったマスコミがまるで自らを国民の代表者として
戦犯に罪をなすりつけて、戦争責任云々を問うのは
変な話なのではないか。
別に、戦争責任を考察することに反対しているわけじゃない。

東大法学部出身者は公務員か弁護士になるでしょうが
この文系の最高学府は新聞社にも流れます。
日本のパワーエリートたちの構造を考えれば、
学閥もまたひとつのファクターでもある。

新聞の必要性が疑問視されてだいぶ経ちますが
それでも読売新聞の発行部数は落ちない。なぜなんだ?

明治の始めに、新聞が「事業」として成り立つことから
様々な新聞が創刊されてきました。

マスメディアとしての新聞は、その誕生から「事業」という
十字架を背負って歩みはじめたのです。