あかんたれブルース

継続はチカラかな

昭和スチャラカ爺放談

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メディアと民主主義(3)


右翼左翼はというバカカバちんどん屋お前の母さんデーベーソ
なるものがありますが
とは別に、タカ派ハト派というカテゴライズもあります。

よく言われる話として
一見ハト派は温厚で争いを好まず平和的なようなのだが
結局がまんの限界に達すると爆発してします。
血液型でいえばO型のような危ない性質があるのだと。

逆にタカ派レーガン元大統領を例にして
以外に結果は平和的に解決されていくのだそうですが、どうでしょう。

尖閣諸島問題で今週末は大荒れでしたね。

オノコロさんが明治の「大津事件」を引き合いに出してくれていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6
土曜日の読売新聞の論説でも取り上げられていたようです。

検察当局の不祥事(証拠改ざん事件)と平行して悩ましいですね。
これ、最初にスクープしたのは朝日新聞だったとか。


さて、朝日新聞の話です。
戦前から読売、毎日と比較してリベラルな新聞という位置付けでした。
満州事変以降、言論報道の統制が敷かれて、
マスコミ・メディアもそれまでのように自由に報道できなくなります。

新聞は事業としての経営がありますから
その環境に適応しなくてはならない。
朝日も例外ではなかった。
毎日や読売よりも若干はマシだったようですが、それは若干であって
50歩100歩。

その差の50歩は大きいじゃないかと考える人もいるでしょうが
母を訪ねて三千里の50歩ですから大差ないのです。

朝日新聞の戦争責任を考えるなかで、思い出すのは「時事放談」という番組。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BA%8B%E6%94%BE%E8%AB%87
政治放談の元祖のような番組で、当時小学生だったわたしも
ぽかんとしながらよく観ていました。
別に政治に興味があったわけじゃない。他に観るものがなかった。
当時わたしの地方は民放が一局しか映らなかったのだ(涙)。

だから時事放談の時事を「ジジ」=爺と認識して
爺の放談と思っていました。その爺とは小汀利得さんと細川隆元
小汀利得って書けといっても書けないし、いま読めといっても読めない。
ただ、耳でおぼえたので「オバマリトク」と綺麗に発音できる。
この方は元日経新聞の記者だとか。

もう一人の爺が細川隆元だ。

話の内容はよくわかりませんが、偉い政府閣僚を歯に絹を着せない
毒舌でバサバサ斬りすてる放言は子供心にも面白かった。

そのなかで一番印象に残っているのは
正月だったか、酒を飲みながら対談していました。(今じゃ不味いでしょうが)
番組もそろそろ終わり頃の後半で、急にお猪口をくちにした
どちらか、細川さんかな? が「この酒は旨いなあ」という。

小汀利得だったが、「うん、旨い。剣菱は旨い」といった。

別に、タイアップとかじゃない。
本当に旨かったんでしょうね。
そのとき、わたしは「酒は剣菱なんだなあ」とインプットされました。
それもあって、剣菱は人気急上昇。おかげですっかり味が落ちたそうです。

さて、この細川隆元氏は元朝日新聞のエース記者です。
緒方竹虎派に属す残党六人集の一人。
戦時中はブエノスアイレス支社から米国の戦時情報を
あることないことジャンジャン送っていた。

まさに報道としては細川流言であり、その後は爺となって放談する。
番組スタート(最初はラジオ)が昭和32年だそうです。
わたしが観ていたのは昭和40年代。
ま、爺の放言ですからそう目くじらたてることでもないですかね。
植木等無責任時代全盛の頃です。

では、爺の臭い放言で一発しめましょう。

ビートルズが乞食芸人なのは騒いでいる気違い少女供を見れば一目瞭然」

その少女たちの子供たちが
団塊ジュニアとなる、この因果。
バカカバちんどん屋お前の母さん・・・ピーッ!