あかんたれブルース

継続はチカラかな

挑発煽動するメディア

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メディアと民主主義(8)


戦争とメディアについて、でした。
日清戦争から三国干渉を生み、ロシアを引き込んでしまう。
これによって日露戦争は日本の宿命的なものとなります。
これは避けられない。これを避けられる。と自信をもっていえる人は嘘つきだ。
後講釈、後知恵をどんなに捻っても難しい、と思います。

そして、日露戦争は火蓋をきっておとされた。
それ以前、各新聞社は一斉に戦争に賛同する姿勢をとります。
新聞は事業なのだ。

それまで政府批判で売っていた「万朝報」の黒岩涙香は悩んで悩んだあげく、
賛同するほうに転ぶ。

その万朝報の強力なライバルだった「二六新報」の秋山定輔は戦争反対を貫きます。
正義派といったところですが、ここにも事業家の目論見はあったと思う。
そこに読者がいたからです。

どんなものにもリスク、デメリットがある。
黒岩の「万朝報」は、そのために内村鑑三幸徳秋水など有能な社員が去っていた。
秋山の「二六新報」は、いや秋山はロシアのスパイ「露探」とされてしまう。

秋山をスパイに陥れたのは元二六新報の社員でした。
ま、秋山も開戦後に高橋是清の外債募集が失敗するとか色々なチョンボ
あったから自業自得ですけどね。
これは以前にも記事にしたと思いますので省略。
また、『「坂の上の雲」まるわかり人物烈伝工作員篇』に
詳しく書きましたので、興味のあるかたは是非(汗)

さて、朝日新聞はどうだったか?
この頃の(東京)朝日の主筆は池辺三山です。
池辺は明治の三大記者と謂われたスタープレイヤーだ。
因みにあとの二人は陸羯南(子規の恩師)、徳富蘇峰(蘆花の兄)。

三山はもともとが日露戦争推進派でしたから
自ら積極的に政府要人に働きかけたようですね。

たいへん面倒見の良い人徳家でもあったといいます。
夏目漱石朝日新聞に入社させたのも三山の功績でもあることは有名。

この人の父上は池辺吉十郎といって西南戦争で熊本軍を率いて
西郷のもとに馳せ参じ、その人柄から「肥後の西郷」と謳われた英雄だ。
宮崎八郎宮崎滔天の兄)も、佐々友房(杉山茂丸の盟友。後の朝日新聞記者弘雄の父)らは
三山の父池辺吉十郎に率いられて戦ったわけです。

さて、その池辺三山が、朝日新聞が、日露戦争に同調的だったことに
「ほらみろ、やっぱり朝日はいい加減」とは、思わないんだな。
そういう時代環境だったと。
それを言論・報道人の姿勢を糾弾するという在り方には少し無理がある。
この件は後々の太平洋戦争のそれできっちりやります。

それより、問題はその後です。

ロシアに勝った!

でもポーツマス条約の内容に日本中が不満です。
それを煽ったのが言論・報道人だったんだな(汗)。
講和を破棄してペテルブルグ(ロシアの首都)まで攻めろ! と。

朝日の報道は
「講和会議は主客転倒」
桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」
「小村許し難し」

です。固有名詞を入れ替えれば今でも使えそう(汗)
で、これが日比谷焼き討ち事件につながる。
死者は17名、負傷者は500名以上、検挙者は2000名以上(このうち有罪となったのは87名)にも上った。

日露戦争で戦死した何万人と比べれば・・・! いや、そういう問題じゃないよ。

これはメディアによる煽動騒乱である。

実際は、日本にはもう戦う力がなかった。
ロシアには「絶対に」勝てないのだ。本当は。
それを国民は知らない。当然、マスコミも知らない。
えっ、情報開示? そんなことしたらロシアは戦争やめないじゃなん。アホか

じゃあ、仕方ない? そうかなあ・・・
二六新報は高橋是清の外債募集が失敗すると予測したんですよ。
それに比べたら日露戦争がもう日本の限界だってことを
各新聞社が予測するくらい朝飯前だったと思いますけどね。
ゆうに5万人は戦死してるわけだし、もともと借金で賄われている戦争です。違うか。

実際にそれを正当であるとした新聞は日本では国民新聞と長崎日の出新聞ぐらいですが、
徳富蘆花国民新聞社は焼き討ちされたんですからね。

因みに長崎日の出新聞は玄洋社と関係の深いとこですよ。ここチェックね。

池辺三山は人柄もよく、立派な人物だと思う。
けれども、この講和条約に対する報道は汚点ですねえ。
それとも、抵抗したのかなあ・・・現在調査中。

朝日はこれ以降も米騒動から鈴木商店焼き討ち事件という
似たようなことを続けます。そして白虹事件につながるだった。