あかんたれブルース

継続はチカラかな

朝日の最大の問題は「派閥争い」

イメージ 1

メディアと民主主義(11)


朝日新聞の報道及び「戦争」責任という主旨で続けております。
まだ、大正7年の途上ですが
この年は日本も朝日新聞も大きく揺れた年でした。

寺内内閣(大正5年)発足から朝日新聞の対立は表面化し
エスカレートしていきます。

この大正7年の1月から、にわかにシベリア出兵に現実味がおびてきて
米価が高騰していきます。急騰、暴騰して市民生活を直撃だ。
富山でおかみさんたちが怒って騒動を起こします。
それを地元新聞が大きく報道した。
それを朝日など新聞がひろめ、全国にひろまった。これが米騒動の発端。

で、朝日新聞は勢いづいて鈴木商店が米の買い占めをしていると
糾弾した。実はこれ、根も葉もない誤報だったのですが、
怒れる庶民は鈴木商店を焼き討ちする。これが鈴木商店焼き討ち事件です。

鈴木商店は個人商店ですが、その売り上げは三井物産三菱商事
大きく上回っていた。これは台湾経営の児玉源太郎後藤新平と組んで
成功したというのが大きな原因ですが、
先に記したように朝日と三井の関係から
この鈴木商店焼き討ちと西原借款の問題に対する朝日と三井の関係を
揶揄するネタ素はこんなところでしょうねえ。

しかし、それがすべての要因だとわたしは思わない。
要因のひとつは寺内正毅の不徳の致すところです。
もうひとつは朝日新聞の独善と驕りだったとも思う。

そして、社内の派閥抗争だ。

そう、朝日の根本の問題はこれです。

当時、朝日新聞には主筆の鳥居素川と西村天囚の派閥が対立していた。
鳥居派のバックは社主山村龍平。
西村派のバックはもうひとりの社主上野理一。

この対立が決定的になったのも大正7年でした。
論説・編集の責任者を決めるという
第一ラウンドでは投票の結果鳥居派に軍配があがった。

しかし、この年の8月に白虹事件という舌禍事件を起こして
鳥居派は壊滅してしまいます。

復活した西村天囚(「天声人語」の生みの親)でしたが
山村龍平と意見があわずに退社。
また、上野理一はこの年の暮れ急逝してしまう。

それでも、朝日の内部対立はまだまだ続きます。

それは村山の娘婿山村長挙と緒方竹虎の確執に発展して、
緒方が退職すると
その残党六人集が山村派と対決していくのでした。