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メディアと民主主義(13)


昨日の続き

一人の警察官僚の不用意発言から

暴徒化した「善良な」市民が自警団を組んで殺害した朝鮮人中国人は
当時の政府(司法省)の調査では二三三人。
吉野作造の調査では二千六一三人。
大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」社長の金承学の調査では六千四一五人。

内務省警保局調査では、朝鮮人死亡二三一人。重軽傷四十三人。中国人三人。
朝鮮人と誤解され殺害された日本人五十九名、重軽傷四十三名。

なんとも・・・弁解の余地なし。
この場合は韓国側の数字と日本側の数字のギャップも論争のタネにならない。
戦争(紛争・内戦)状態ではなく、震災であって
被害者は完璧に非戦闘員。
また、「朝鮮人と誤解され殺害された日本人」というのも
問題じゃないか。

http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/51191172.html
で、日本人がこんな非道いことができるだろうか?と
謎かけをしたけれど、忸怩たる思いにかられます。
阪神大震災でこういうことが起こらなかったことが救われるなあ。
これも民度の向上なのでしょうかね。

しかし、こういった人災(犯罪)を煽動したマスコミ各社が
この直後に何をしていたかというと、壊滅状態になった東京の新聞社を
資本力で淘汰する過当競争に奔走していた。勝者は朝日と毎日(東京日日)。
雨上がりの竹の子群雄割拠の東京の新聞社は淘汰されました。
これを資本主義自由主義における原理とか企業努力と捉えることに
抵抗を感じるなあ。

昨日、日本の新聞の黎明期は読者からの「投書」からスタートした。
と書きました。ミニコミ誌とか・・・古いな。
そう、現在のブログに似てる。
全国にたくさんの新聞社がありました。

この中から人気ブロガーが誕生して後に作家や言論人を生んでいきます。

ネットの普及で、私たちは個人でメディアをもっている。
これはこれで、素晴らしいことなんだ。
しかし、これまで例に出したように、情報発信っていうのは
「諸刃の剣」であって恐い。それは大小を問いません。

そこには言論の自由の履き違えもあるでしょう。
「正義」はそれ自体が戦いの動機でもあり、そのスローガンには
「平和」を訴えて聖戦を煽ることだってできる。独善もある。

関東大震災までの日本の新聞界は群雄割拠で都市部から地方まで
たくさんあったと書きました。
これも現在のネット社会の「ブログ」事情と似ています。
プロセスなんでしょうね。つまり、時間軸をおっていけば最終的には淘汰されていく。

しかし、問題はその過程で、暴徒化して日比谷焼き討ちやら米騒動やら
そして関東大震災の二次的人災犯罪悲劇を生みかねない。危なっかしい。

現在は淘汰される前の黎明期なので、各社(各ブログ)が主張の違いで
足ひっぱりあいで侃々諤々です。これも相似しています。
そこから情報統制がしかれていくわけです。満州事変前後の状態。

「ネットは世論に結びつきづらい」と記しましたが

ひとつには、質の問題があると思う。
何かを主張する場合。研究でも分析でもすべていえることですが、
「先入観、仮設を真実に則して修正する作業」だといわれる。

一番の罠が
「先に結論があって、後はそれにあう事実だけで肉付けして仕立てる」こと。

非常に重要なのは「知的誠実さ」なのだ。

世の中は善悪だけの、たとえば時代劇の「水戸黄門」のように
勧善懲悪というようにすっぱり白黒つけられないことが多々あります。
だからといって玉虫色の煮え切らない傍観者でもいけないけれど、
だからといって力技で敵味方に二分して論争して相手を抑えつけるのも
結果としてはキリがない。
そこに「平和のため」という大義名分があるから始末が悪くなる。

なんでそんなに過剰反応したり、拡大解釈して
ビビったり、怒り狂うのか?
なんで都合の悪い事実には目を背け否定しなければ気がすまないのか。

以前も記しましたが、たとえその主張が正しくても
肉付けする事実の例が「1%」でも怪しいものがあれば
すべて反古にされるものであり、なによりもそれが
新たな争いのタネ(論点)となってしまうものです。

わたしたちは真実の材料をさほどにはもっていないので
そういった「1%」の矛盾をクリアできるのは無理と考えるかもしれませんが、
そういうことではなくて、表現の仕方だと思います。
断定できない事を断定しなくてもいいじゃないか。
いくらでも表現工夫はあるし、それが説得力を損なうことにはならない。

結局は、考察者発言者の「知的誠実さ」でしかない。

また、「知的誠実さ」という土台を抜きにして
ネット(メディア)のメカニズムだけを捉えて
それを世論にしようとする性急な試みにも危惧というか危険を感じます。


朝日新聞の歴史から長々と事例をだしてきましたが
歴史に学ぶということは、そういうことじゃないでしょうか。