あかんたれブルース

継続はチカラかな

アトムの子供

イメージ 1



馬太郎ブログは近現代史のブログです。
昨今の歴史認識の論争のなかで、忸怩たる思いにかられる。
細かいことを書くのは控えますが
このかみ合わせの悪さに
「生死観」と「性愛観」が横たわっている。


この間、三人会議を開催前に
寅さんとつ〜たんとルイちゃんでプレ三人会議をやってました(汗)
だいたい昭和30年世代です。

ここで、マンガの話になる。私達世代が何かを語るときに
「マンガ」というものが大きなファクターとなります。
それほど大きな文化としての影響力があった。
まさに過渡期のなかで私達は成長し、そして大人になった者達です。


私達の何十パーセントかは
マンガで出来ているんじゃないだろうか?
特に男達は手塚治虫梶原一騎などのヒーローに強く影響された。

別に自衛官になって有事で活躍したいとか
ベンチャービジネスで風雲児として名を轟かせたいとか
メジャーリーグで存在感を発揮したいとか
そんな大それた、単純なものではなくて
英雄ではなくて

もっと、個人的な、小さな、ヒーローでありたい。
そんなアイデンティティーがある。

だから、高校一年の秋に野球部で夕暮れの外野ノックが見づらくなって
眼鏡をかけるようになたときは寂しさがあった。
ヒーローは眼鏡をかけないのだ(涙)。

それでもフォークソング・ニューミュージックブームが救ってくれました。
ま、いいか。ヒーローキャラっていっても時代で変わるもんね(汗)
「銀縁メガネの馬太郎さ〜ん」
そんなお気楽な話ですよ。根はおバカさんなのだ。
かぐや姫の「22歳の別れ」という歌が流行り
ツインギター、カポ3のEmからのスリーフィンガーをコピーしながら
遠い22歳というものに想いを馳せたものです。
その頃、大人になれるのだろうか・・・

しかし、22歳になってなにも変わっていなかったのさ(汗)

ただ、意識のなかには確実に自分のヒロイズムというものがある。
反骨というほど確固たるものがあるでもないし、
通すほどの筋も見極められない。
流されそうになるなるを懸命に踏ん張ってはいたけれど
トータルでは流されるケースが多かったのではないでしょうか。
大相撲でいえば負け越しの十両力士。
野球でいえば2割3分8厘のショートで7番バッター。

それでも

♪ 僕らはアトムの子供さ

山下達郎の歌がときどき木霊する。

アトムはラストで地球を守るためにロケットと一緒に衝突する
惑星に体当たりして散った。

ジャングル大帝のレオはヒゲおやじに自分を食べさせた。

ジョーは燃え尽きて、タイガーマスクは最期まで隠し通した。

私達は団塊の世代と新人類の間の世代だ。
やさしさの世代と揶揄されることもある。
それでも、このヒーローっていう強烈な判子注射をされいる。
左の二の腕にその後がまだあるよね。
もう一度それを確認してみよう。

名誉と栄光のためでなく、なんてタイトルの映画がありましたが
僕らはアトムの子供だ。
20世紀少年なんていうのを観るとそういう共感にふれてしまいます。

そういった自分を恥じないような生き方をしたい。
笑われるかもしれないけれど
ヒーローでいたい。
少なくとも自分自身ではそう納得できるような。
気持のよい生き方をしたい。


♪ 僕らはアトムの子供さ しゅるるる しゅるるる